北の(来たの?)獣医師

北海道十勝地方で牛馬を相手に働く獣医師の最近考えていることを、 散文、韻文、漢詩 でつづったものです。

新企画・都都逸!

今のところ年に一度の、我が575王国、春の句会が札幌で開催された。

出席者は、芋造、土竜、頑黒、豆作、の四名だったが

投句者はその倍以上の総勢10名という、ちょっとした句会となった。

句会第一部「川柳」

第二部「前句付け」

第三部「都都逸」

第四部「漢詩」

お題は『馬鹿』(笑)

今回の目玉は

新設した第三部の「都都逸」である。

わざわざ札幌まで出かけて、とんぼ返りをして、妻には呆れられている。

だが、その価値は十分にある、充実した時間だった。

全部を紹介することは、とても無理なのだが

新企画・都都逸の一部を少し

 人の振りみて 我が振り直し 互いにおバカで 地獄行き   頑黒

 馬鹿といわれて 怒ってみても アホと言われりゃ 苦笑い  芋造

 ヒモが切れても 演技を続け 哀し切なし チャップリン   土竜

 媚びるOL 色目を使い ニヤけ上司が 馬鹿を見る   文鳥

 機種変するなら 分割が得? 結局高いぞ 8万円    綾子

 鹿と思って 引金引けば 子馬だったさ 1億円   豆作

 五時を過ぎても 終わらぬ仕事 ハモる溜め息 苦笑い   土竜

 バカな上司に 右向け言われ 左向いたら 穴に落ち    頑黒

 待ったごめんと 背中を抱き 顔を拝めば 知らぬ人   頑黒

 偉い政治家 サーフィンすれば 秘書が大波 かぶります  豆作

参加者の皆さん、すべて初めての創作ながら、575である程度鍛えているだけあって、なかなかのものである。

そして、この都都逸というのは

節をつけて唄わないと、その良さがわからない。

今回は、頑黒和尚を中心に、即興でオリジナルの節をつけて唄ってみた。

和尚のセンスは素晴らしく、既に都都逸大王の風格(笑)

さすが、元ドラマーである。

まだ三味線も無いので、「ぺぺぺんっ」「チェチェン」と、口三味線で景気をつけ

それから「ヨッ」と、掛け声を軽く入れると

これでもう立派なお囃子になった。

酔っているので、私にもできた(笑)。

やっているうちに、トリップ感が生まれ

至福の時間が訪れたのであった。

いやー、都都逸って面白いですよホントに。

次回の句会は、都都逸だけを独立させて、秋に都都逸大会を開こうということになった。

会の名前は「TEAM DODO」(笑)。

そのときまでに、今度は本当の三味線をつける、ということになった。

秋までになんとか、三味線プレイヤーを探す・・・

そんなことを約束して、散会したのだった。

牛の鈴音

「もしもしー、豆作さーん?、私ですー、ハラダですー。おげんきですかぁ・・・僕は・・・」

「あ、はいっ。ど、どうも、ご無沙汰してます。」

我が俳句の師、原田青児先生からの電話だった。

先生からの電話は、数年に1度、突然かかってくることが多い。

「僕はねー、このあいだ、映画を見てすごく感動したんですよ。牛の映画なんだけどねー」

そう言って先生は、『牛の鈴音』という映画のことをお話して下さった。

「もうほんとにねー、涙がぽろぽろと、止まらなくなったんですよー。今年見た映画の中でね、私は一番泣きましたよ。でもね、見終わって、泣きながら周りの席を見回したらね、あんまり客が入ってなかったんだよ。泣いてるのも僕だけのようでねー・・・」

涙もろく、感性の鋭い先生のことだから、きっとそうだったのだろう。

先生は大正8年生まれで今年91歳になられたが、まだまだお元気なのだ。

「この映画をねー、豆作さんにもね、ぜひ見てもらいたくてねー。それでねー、これからね、この映画のパンフレットをあなたに送りますからー、ぜひ見てくださいねー・・・じゃあ、さようなら。」

数日後、先生からパンフレットが届いた。

牛の鈴音この映画は韓国の映画である。

韓国では「牛の鈴症候群」という社会現象までになったドキュメンタリー映画で

ドキュメンタリー映画部門で初めての、興行成績第1位を獲得したという。

原田先生は、日本の植民地時代の北朝鮮の生まれということもあり

この映画に、子供の頃の懐かしい風景を見たのかもしれない。

パンフレットと共に、手紙が添えられていた。

「同封、最近鑑賞した中で最も感動しました。
平々坦々と、静かに流れる場面、牛同士の会話、何のギャグもありません。四季の移り変わり。その美しさ。
私は、俳句もこのようなものが好きです。
お体大切に。牛どもを、可愛がってやって下さい。
                          青児 」

     *    *    *

せっかく先生からこんなにされてまで紹介された映画なのだが

十勝帯広では、残念なことに、この映画の上映予定がまだ無い。

ネットで探して、さわりの部分をわずかに見るのみなのだ。

http://www.cine.co.jp/ushinosuzuoto/

どなたか

この映画を御覧になった方、いらっしゃったら

情報、教えていただけると嬉しいです。

寒さ日本一ランキング

寒さ日本一3月5日付けの十勝毎日新聞に、「寒さ日本一ランキング」という記事があった。

この記事によると、ランキングの手法は1月と2月の毎日

全国のアメダスデーターの日最低気温の上位10傑を

1位10点から10位1点までポイントで加算して集計したものらしい。

それによれば

十勝の陸別町が331ポイントで1位。

上川の占冠(しむかっぷ)村が207ポイントで2位。

十勝の幕別町糠内が205ポイントで3位。

十勝の大樹町が171ポイントで4位。

釧路の弟子屈(てしかが)町川湯が150ポイントで5位。

・・・と続くのだが

驚いたことに

私がかつて22年間仕事をしていた前診療地区の、幕別町糠内が3位。

そして、現在の診療地区である大樹町が、なんと4位!

私は今まで

全国的に見ても

非常に寒い場所で仕事をしてきて

そして現在もそれは続いている・・・

ということになる。

稚内や旭川や北見など

私などより、もっと寒い地方で働いている人たちがたくさんいるかと思っていたので

いやー、これは

とても意外だったですねぇ・・・

当歳馬の前肢神経麻痺

『2/26生れ、農家自身で分娩を介助。その際、仔馬の前肢に産科 ロープをかけ、市販牽引器にて引っ張っていたが、その途中で母馬 が動き、一瞬過度なテンションが仔馬前肢にかかったらしい。出生 直後より、患肢脱力麻痺。動画は3/2現在のもの。Xrayは肘 、橈尺骨のみ確認。肩関節は未確認。患肢頭側面痛覚は消失、尾側 面はあり。逆光で見えにくいですが、有効な診断、治療をご助言い たたげればと思います。』  

というchikuwaさんからのコメントがあった。

『YouTubeに動画をアップしましたので、興味あれば見て下さい。』

ということで、以下がそのアドレス。

http://www.youtube.com/watch?v=NNWlecpblCI


この場を借りて、こういう子馬の症例に明るい方々のご助言を頂きたいと思います。

他人の症例で相撲を取るような記事ですが・・・これも当ブログの効用かと思い、記事にしてみました。

子馬の症例に興味のある方は、ぜひコメントをお寄せください。




高泌乳牛群の双子はなぜ増える?(2)

高泌乳牛群は双子の分娩率が上がる、という現象。

それはなぜか。

前回の説明では不十分なことを指摘した。

そして、それに対する私の仮説は!?

もったいぶった言い方をしていたら、前回の記事の、いっしーさんからのコメントで、先に言われてしまった(笑)

すなわち

高泌乳 ⇒ 子牛を十分にまかなえる乳 ⇒ 双子OK ⇒ 2個排卵

という説である。

牛は泌乳マシンではなく、生物である。

前回書いた、2個排卵のメカニズムの説明に不足しているものは

牛の生物としての、生きよう、増えよう、という種の目的、種の意思である。

これは、とりもなおさず「生物の進化」ではなかろうか?

生物の進化は、遠い昔に起こった出来事ばかりではなく

当然、現在も起こっているはずだ。

牛がヒトに強く家畜化されたことで、ヒトが思ってもみなかった方向へ、改良?が進んだのではないだろうか。

牛を改良しようとしたら、牛たちは進化を始めてしまったのだ。

ホルスタイン種は近い将来、双子を産むのが当たり前な動物に・・・?!

この世は、ヒトの思い通りになかなか行かないのが、現実というものである。

突然変異や自然淘汰ばかりが、生物の進化を決定するものではないことは

ダーウィン以降の生物学者が盛んに発言している。

「生物は進化すべくして進化する。」 

と言った今西錦司氏などもそうだろう。

動物と真近に接して生活している畜産現場の人たちは

生物進化の現実をこの目で見ながら生活ができる。

そう考えたら

とても楽しいではないか。

高泌乳牛群の双子はなぜ増える?(1)

ある資料(Dairy Japan 2010.2月号 P28~)によると、牛の双子の分娩率は

普通、肉用品種では1%以下、ホルスタイン種でも4%程度、であるが

高泌乳化で双子分娩率は上昇している、という。

高泌乳牛群のなかには、双子が10%近い牧場もあるようだ。

牛の双子の多くは2卵性だというから、双子の原因は2個排卵の増加、といえる。

この理由として、一般的に言われているのは

乳量の増加 ⇒  肝臓の血流量の増加 ⇒ 

血中ホルモン濃度の減少 ⇒ 

排卵抑制機能低下 ⇒ 2個排卵

という現象が起こるというものだ。

つまり、性ホルモン濃度が薄くなり、排卵抑制が出来なくなるのだという。

しかし、この後半の部分に、私は疑問を感じる。

ホルモン濃度が下がるというのは、測定した結果なのだろうけれども

なぜ、それが

排卵の抑制にはならず

排卵の促進という結果になり

2個排卵の原因になるのか?、と。

排卵を「抑制」するホルモンの濃度だけが、どうして下がるのだろうか?

排卵を「促進」するホルモンのほうは、濃度は下がらないのだろうか?

それに、普通ホルモン濃度というものは、フィードバック機能によって、速やかに調整されるはずだが

フィードバック機能はどうなってしまったのだろうか?

物理的な血流量の増加による、ホルモン濃度の低下が生じるところまではわかるのだが

そこから、2個排卵が起り易くなる、という現象までの

メカニズムの説明が、どうも無理に結果を当てはめているようで

私には納得できないのだ。

じつは、私はこの説よりも、もっとわかりやすい仮説を知っている

次回に紹介したいと思う(笑)



牛精液の保管場所

7ebf6c0e.jpg人工授精師として私はまだまだヒヨッコである。

前任地ではほとんどやっていなかったし

新任地においても、授精師さん方の手の回らない時の補助要因として回っているに過ぎない。

学校で教わったことは、とうに忘れてしまった。

というより、獣医師の教育カリキュラムに人工授精師になるための講習自体、なかったような気がするのだが・・・

にもかかわらず、獣医師であれば人工授精を業務としても許されることになっている。

牛の精液を保管している器具の名称を

私は恥ずかしながら、知らなかった。

精液のストローを、液体窒素のボンベに入れて保管していることは、誰でも知っている。

だが、ボンベの窒素の中に、バラで放り込まれているわけではない。

ボンベのふたを開けると、普通6本の取っ手が放射状に掛かっている。

その取っ手の先には円筒形の容器が付いていて、引き上げると写真のようになる。

この円筒形の容器の部分は、「キャ二スター(canister)」と呼ばれている。

さらに、各キャ二スターの中には、ストローが12本収納できる細長いプラスティック製のカラフルな容器が入っている。

このプラスティック製のカラフルな容器のことを、「ケイン(cane)」と言う。

このケインには、同一種類のストローしか入っていない。

すなわち、精液のストローは、このケインによって分類されていて

さらに、キャにスターによって大きく仕分けられた形で、液体窒素ボンベに収納、保管されているわけである。

ちなみに

キャ二スター(canister)という言葉は、普通お茶やコーヒーを入れる蓋のある缶のことをいい

ケイン(cane)は、竹や砂糖キビなどの節のある茎のことをいう言葉のようだ。

イメージとしては、よくわかりますね(笑)

そして、この二つの言葉は

奇しくも

分厚い英和辞典の、同じページに収納されていた。

氷上の舞

626b1c34.jpgバンクーバーオリンピック男子フィギュアシングル

高橋大輔選手、初の銅メダルは素晴らしかった。

4回転ジャンプこそ、着地に失敗したものの、その後のジャンプはことごとく決め

何よりも、世界一の氷上ステップで、観客を魅了した。

私もここ数日、往診先で

氷上ステップをしながら診療している。

しかし、3日連続の・・・転倒

1度目は

大牧場に着いて、カルテの束を両手に抱えて車から降りたとたんの転倒・・・牛たちが一斉にこちらを向いた。

2度目は

仔牛の診療で輸液セットを両手に抱えて古い牛舎の処理室を抜けたとたん、転倒・・・飼主夫婦と仔牛の居る方へ足を向けてスライディングした。

3度目は

牛の頭数を確認し終わったフリーストール横の堆肥場から染み出している「茶色いスケートリンク」の上で、華麗?!な仰向けのパフォーマンス・・・助手のバイト君から慰めの言葉を掛けてもらった。

芸術点はゼロである。(泣)


     退  勤

   寒暖反復成氷盤
   表面降雪薄夕闇
   滑走転倒荷散乱
   寂莫無情孤独感

唯脳論(10)

ヒトが脳で考えている以上、ヒトの思考の産物はすべて脳の中の出来事である。

科学も、宗教も、その意味で、まったく対等なもので

どちらかが真理であり、片方が真理ではない、ということはないだろうし

どちらもヒトの外側の真理などではなく、脳の中の出来事である。

科学は宗教の一つに過ぎない、という考え方さえある。

唯脳論には、はっきりとは書かれていないが、そういう考えを匂わせる記述がしばしば登場する。

そういわれてみると

様々な学術団体は宗教団体と共通点が多い。

教祖様のような大先生が仕切っているような学術団体もあるようだし

なんとか学会という宗教があるのも、うなずける。

ともあれ

ヒトの脳内事象の一つとしての科学は

その明快な論理性によって、市場原理主義との相性がよい。

また、その性質上、科学も市場原理もグローバリズムである。

しかし

科学技術と市場原理が手を組んで、突っ走ると、恐ろしいことになる。

格差社会や、人権侵害、戦争、などがおさまらないのを見れば明らかだ。

すなわち、倫理の欠如である。

宗教は、倫理の一つの実現であり、非科学的なものである。

私はなにもこのブログで、世界平和を叫ぶつもりではない。

ただ、私の周りで日々起こっている出来事

すなわち畜産現場にも

この構図があると思うのだ。

牛や馬の病気の原因を考えてゆくと

科学的な観察と分析、理論で追って行っても

すぐに、それだけでは解決できない問題に突き当たる。

格差社会や、人権問題、経済戦争、がそこにはある。

これは「論」理的思考の不足ではなく

「倫」理的思考の不足、欠如であろう。

牛や馬の病気を治したり、予防したりするためには

畜産現場に、もっと倫理が必要ではないだろうか。

畜産現場の科学や市場原理は、いまやグローバルな波となっている。

ところが、倫理のほうはといえば

ある地域では、キリスト教がベースであり、別の地域では、仏教や神道が拠り所になっていたり、と

倫理というのは、ローカルなものなのである。

科学者たらんとする獣医師は

科学のグローバリズムと

倫理のローカリズムに

どう折り合いを付けてゆくべきか

しっかりと考える必要があるだろう。


深夜の子宮脱

子宮脱死昨日、見回り時には異常がなかった。

分娩をする気配も感じられない、予定日前の初妊牛。

朝、牛舎へ来てみたら、写真のごとくの子宮脱。

本牛は既に死亡・・・。

仔牛は尿溝のなかで生きていた、という。

子宮脱の治療は、速ければ速いほど良い。

すなわち、遅ければ遅いほど悪い。

自然に治ることがない、のは言うまでもない。

特に、真冬の深夜にこれが起こってしまうと大変だ。

今回のようなパターンは、まったくお手上げと言うほかはない。

では

せめて、予防対策を考えたい。

分娩兆候をもう少し、産まない時との僅かな違いを把握できればよいのだが・・・

普段との微妙な違いは、飼い主でないと、なかなかわからない。

食欲や挙動の微妙な変化をつかむ。

仙坐靭帯の緩み具合をよく観察する。

体温を毎日定時に計り、分娩直前の体温低下を見つける。

分娩監視カメラを設置する。

こういった事を、実行してもらうしかないだろう。

以上はなにも子宮脱の予防に限ったことではなく、普通の分娩監視術である。

さらに

子宮脱になる兆候、ならない時との違いをデータで集められれば

それによって、子宮脱の可能性を事前に知ることが出来るのだろうが・・・

文献を探してみた。

ある文献、Prolapse of the uterus in the cow、によると

  1.低カルシウム
  2.長い難産
  3.胎児の牽引
  4.胎児の過大
  5.胎膜の停滞
  6.慢性疾患
  7.不全麻痺

等が、素因として挙げられていた。

そして、子宮脱になる兆候としては

  ・弱さ
  ・憂鬱
  ・正常以下の体温
  ・不安
  ・興奮
  ・平伏
  ・昏睡

等が挙げられている。

しかしこれは、子宮脱の兆候というよりは、低カルシウム血症の兆候であろう。

今回のケースは初妊だったから、低カルシウムは考えづらい。

それなのに

初妊の牛が子宮脱で死亡してしまった。、

これはほんとにダメージが大きい。

それを予防するのは・・・

うーん、これはなかなか難しいのだろうなぁ。





大豆・小豆作・あずき

高校3年の息子は、学校の授業が終了し、家庭学習期間に入っている。

受験に忙しい子もいるが、息子やその友達らは、既に進路を決めてしまった者が多い。

したがって・・・ここぞとばかり、遊びほうけているようだ(苦笑)

最近は、息子と友人達が頻繁に遊びに来るようになった。

居間のパソコンの前に座って、私の趣味にも気付いたようだ。

「俳句っすか。すごいっすね!」

「いや・・・なんも。」

「まめさくっすか。すごいっすね!」

「いやいや・・・なんも。」

しばらくして

彼らはコンビニに買い物へ行ったようだ。

帰り道で一句、できたという。

そして、メモ帳に、それを書き始めた。

   白銀の景色広がる冬物語   大豆

   冬の風我身で感じ春を待つ   小豆作

   冬の道春に向かって歩き出す   小豆作

      三年間チンギスハンとジンギスカン   あずき

うん!

初めてにしては、なかなかやるじゃないか。

「いいねぇ。」

「あざす!」

息子は作らなかったが、3人の友人達は、面白がっている。

3月に予定している、575王国句会の案内状が張ってあるのを見つけたようだ。

「句会、やるんですか。すごいっすね。」

「いや・・・なんも。」

「お題が『バカ』ですかぁ・・・これはすごいっすね。」

「いやいや(笑)。」

しばらくしたら

また、メモ帳に、彼らの句が出来上がっていた。

   バカ息子もっても私の愛(まな)息子   小豆作

   バカ親父あげあし取るのは得意だな   大豆

   〇〇○さん眼回ってまめまめまめ   あずき

   バカ息子完璧だけが善じゃない   小豆作

うーむ、これは素晴らしいじゃないか!

   〇〇〇さんオレにとってはおよめさん  大豆

という句もあった。

〇〇〇というの所には、私の娘の名前が書いてあった。

小豆作・大豆3人とも、ペンネームが

豆にちなんだ名前にしてあるところが可愛いではないか。

豆作一門の旗揚げも近い?!(笑)

唯脳論(9)

「西洋人の脳は、東洋人の脳よりも、強い論理志向がある。」

と、いうことを否定する人は、ほとんど居ないだろうと思う。

その証拠の一つに、西洋生まれのキリスト教は

東洋生まれの仏教や、日本生まれの神道よりも、強い論理性を持っている。

西洋人の脳は、物事をとことん論理的に考え、議論をする。

それが自然科学を産んだ。

しかし、自然科学ではすべてを説明することはできないことも知っており

自分の脳内に神秘的なものの存在を認めざるを得ず

それが、キリスト教の神の御霊(みたま)の存在である。

御霊は神が、ヒトだけに与えたものだ、と彼らの脳は考えている。

したがって、家畜の中には御霊はなく、そのすべては科学や論理で説明できる存在である、と考えている。


東洋人の脳はそれに比べると、徹底的に物事を論理的に考えないし、西洋人より議論も下手だ。

見たり聞いたり触ったりした感じそのままに、それを捉え、そこに厳密な論理を持ち込まない。

仏や神道の神は、神出鬼没、八百万の神が、ただ複数存在するのみ。

仏教の経典にある

「至極の大乗思議すべからず、見聞触知みな菩提に近づく」

というのは、世は不可思議、あれこれ思考して議論すべきではなく、見て聞いて触って知ればそれでよい、という教えだ。

東洋人の脳から見た家畜とは、見たとおり、普通に感情があり、我々とそれほど大差のない生き物のように見えているだろう。

私も東洋人だから、そう見えるし、そう考えている。


西洋人と東洋人の、家畜に対する認識の違いは、この辺にあるのではないだろうか。


      *    *    *


針32月8日は「針供養」の日だ。

針供養を翻訳ソフトで英語にしたら

Memorial services for needles

と出た。

針5西洋人に、これで意味が通じるのだろうか?(笑)

「針供養」は歳時記では、春の季語になっている。

動物や家畜ばかりではなく
 

針4我々日本人は、無機質の針にも霊が宿るとして

その供養をしてきた。

毎年、1年間に折れたり曲がったりした針を持って、「淡島神社」に参詣し


針1それらを納め、祀る。

豆腐やコンニャク等の柔らかなものに刺し

感謝をこめて、労をねぎらい、祀るのだ。

と同時に、縫いものの上達を願う、のだという。

何と奥ゆかしい行事だろう。

針2我々獣医師は、針がないと仕事にならない。

獣医師が使い古した針は、感染性廃棄物として

そのまま業者に引き取られて、処分される。

和裁学校や洋裁学校では

毎年、針供養を行うところが多いという。

臨床獣医師の間で、針供養を行うところは・・・

・・・あってもいいんじゃないだろうか。

針を毎日毎日酷使している臨床獣医師の皆さん、どう思われますか?

私は結構まじめに、針供養をしてもいいかなって思うんですけどね(笑)

針供養をして、針を大切にする心を養う、というのはいかがですか。

賛同していただける方、いませんかね。


 牛を縫う太き針にも針供養    豆作



産前の起立不能

分娩予定日まであと3週間の乾乳牛が、パドックで起立不能になったという連絡が入った。

行ってみると、意識や活気はほぼ正常だが、体が持ち上がらない。

四肢に異常はなく、子宮や産道の異常もない。

T38.8 P98 R20 特に問題なし。

ただ、ボディコンディションが非常に低い。

どうよく見ても、BCS=3.25 程度。

「連動スタンチョン付けたばかりなんだけど・・・」

♭さんのパドックに連動スタンチョンが付いてから約ひと月だ。

「入らないの?」

「いや、何とか入るし、配合飼料もね、やれば食べるんだけど、ここ数日、あまり進んで食べには来てないかも・・・」

食べてはいるらしいが、このBCSから見ると、やはり栄養不足は間違いない。

とりあえずカルシウム+ブドウ糖製剤を投与。

しかし、戻って血液検査をしたら、血清Ca 10.0(mg/dl)、Mg 2.2(mg/dl) 

これはまったくの正常値だ。

その他、飢餓状態を示すような血液の変化は、その後の検査でもよく見えなかった。

「他の牛に乗られたんじゃないですか?」

♭さんの乾乳牛のパドックには、乾乳ではない牛も入っている。

「そうかもしれないね。」 

そして、治療を続けて、3日目。

「吊ったら一度立ったんだけど・・・また立てなくなっちゃった。餌は食べてるよ。」

さらに治療を続けて、7日目。

「吊ってもぜんぜんダメだね。痩せて来たし。でも、餌は食べてるよ。」

さらに治療を続けた。

しかし、この牛のBCSは、どんどん下がって行くように見えた。

♭さんとの話合いのなかで、この牛はたぶん助からないから、廃用にしよう、ということになった。

ただ、お腹の中の子牛がいるので、それが生まれてからにしよう、ということになった。

分娩予定日まで、2週間を切った日に、プロスタグランジンを打って、分娩を誘起した。

末広1その2日後の朝。

子牛が生まれた、という連絡が来た。

無事に生まれたようだ。

それも、双子。

しかも

♀♀、だった!

それを聞いたとき

「うーん・・・、そういうことだったのか。」

と、思った。

正直、もっと早く、それを察知できたらよかったな、と思った。

私は今まで何頭も、こういう牛を診てきたじゃないか

どうしてもっと早く、双子の可能性を考慮しなかったのか、と少し後悔した。

末広2昨日、母牛を

閉鎖神経麻痺という病名で

廃用にした。

下半身は、ほとんど動かない。

この牛は、最後の力を振り絞って

立派に、双子の子牛を出産したのだ。

BCSは、2.75以下に低下し

ぼろきれのように痩せてしまった・・・・ご苦労さん・・・。
末広3
乳房はまったく張っておらず

初乳はほとんど出なかった。

♭さんの家には

市販の初乳製剤がある。

母牛のがんばりに応えるためにも

この双子の2頭は

何としても、無事に育って

立派な乳牛になってほしい。

赤門

赤門1「赤門」といっても、東京大学のそれではなく

十勝では、知らない人はいないという

有名なラーメン屋さんである。

我が診療所から、国道を南へ数キロ走った石坂という小さな町にある。

いつもは、弁当を持って仕事をしているが、そうではないときは

診療地区にあるいろいろな食堂を探すのも、ちょっとした楽しみである。

ラーメン屋さんも、いろいろ行ったが

やっぱりここかな・・・

この「赤門」は、私が学生時代からあった。

広尾や襟裳岬、あるいは日高地方へ南回りで行ったときなどに

うまいラーメン屋があったのを、覚えている

当時はもっと小さくて、ボロい家だったが、いつもお客さんの車が周りに溢れていた。

赤門2先日食べたのは

味噌野菜ラーメン。

緑の野菜がたっぷり入って

腰のある麺と

香り豊かなスープ。

さすが!のうまさ、だった。

しかし、先輩獣医の∵さんに言わせると

「世代交代で味が変わったんだよな。俺は前のほうがよかった。」

だそうである。

私は、学生時代に食べた味は、もう忘れてしまったけど(笑)

「唯脳論」(8)

抽象的な事を話していると、退屈になってくるので

西洋人の家畜に対する考え方の、具体例を挙げてみたい。

酪農情報誌「Dairy Japan」の2009年12月号のトピックスに

よいタイミングで、こんな記事があった。

その全文を書き出してみよう。

           *    *    *

  牛は「名前」で呼んだほうが乳量は多い---イギリスの雑誌から

 多くの科学者によって、「人間と動物の関係(HAR)」において、人間側の要素が乳牛の生産性や行動に影響を与えていることが証明されているが、英国で発行されている人と動物の関係の研究誌「Anthrozoos」Vol.22,Number1,2009年3月号に、516戸の酪農場でHARを調べたところ、90%以上が、「牛は感情を持っている」と回答し、78%が「知性を持っている」と回答したという報告が載っている。また、牛を1頭ごとに識別することが大切だと考えている農場は、より多い産乳量(200kg以上)が得られるという傾向が見られた。さらに牛を「名前」で呼んでいる農場では、そうでない農場と比べて乳量が258kg多かったという。
 この研究をリードしたDouglas博士は、「牛を名前で呼べば、コストをかけずに乳量を上げることができる」としている。

            *    *    *

私はこの記事を読んでいる途中で、なんだか可笑しくなって吹き出してしまった。

そして

「強い論理思考と、神秘主義との奇妙な結合、それが西洋人の悪癖である。私はそう思う。」

という、養老氏の言葉を思い出して、また笑ってしまった。

『悪癖』かどうかは、私にはわからない。

でも、確かにこの記事を読んで、私は二つの違和感を持った。

その一つは、前半の部分

「牛には感情があるか?」、あるいは「牛は知性を持っているか?」、という質問を、酪農家に対して大真面目に問うている研究チームの可笑しさ。

もう一つは、後半の部分

「牛を名前で呼べば、コストをかけずに乳量を上げることができる」と大真面目に考察しているDouglas(ダグラス)博士の可笑しさ。

西洋人の強い論理思考も、ここまで来ると、滑稽に見えてくるのは私だけだろうか。

東洋人(日本人)の私から言わせれば

「そんなこと、あたりまえじゃないか!」

で、ある。

こういうテーマは、べつに科学的な論理で証明など、する必要があるのだろうか?と、私は思うのである。

こんなところにまで科学的手法を大真面目に使う感覚が、私にはとても奇妙に映る。

これは科学で扱う問題ではなく、非科学的思考であっさり解決できる問題ではないのか。

愛情や思いやりの問題ではないか、と私は思うのだ。

実際、私の通う酪農家で

「乳量を上げるために、牛を名前で呼ぶことにしたよ。」

なんていう酪農家など、1人もいないと思う。

牛を名前で呼んでいる酪農家は、牛をそれだけ愛しているから。

そういうことでしょう?

イギリス人のダグラス先生・・・使う道具がちょっと違うんじゃぁないでしょうか?

料理をするのに包丁ではなく、カッターナイフを使っているような

あるいは、和食を食べるのにフォークとナイフを使っているような

そんな違和感を、私は禁じえないのである。

唯脳論シリーズ後半のテーマは

西洋人の脳は家畜をどう見ているのか・・・なのであるが

牛には感情がないと思っている酪農家が1割

牛には知性がないと思っている酪農家が2割以上

そんな記事にも、ちょっと驚く。

底にはやはり、キリスト教と神道・仏教との違い、があるようだ。

東洋人とはかなり違う、その一端を垣間見たような気がする

そんな、記事である。

「唯脳論」(7)

私は、唯脳論を参考にしながら、畜産現場における「宗教」について書こうとしているが

宗教は世界中に、じつにいろいろある。

そこで、私の取り上げる宗教はとりあえず

日本神道、仏教、キリスト教、の3つに絞りたいと思う。

それが私の身の回りの主な宗教だと思うからだ。

宗教は、ヒトの心、精神、魂、霊、といったものを扱う。

ヒトには、形態としての「肉体」と、その機能としての「心」がある。

ここまではたぶん、神道も仏教もキリスト教も、異論はないだろう。

さて、では、ヒト以外の動物、家畜はどうだろう。

形態としての「肉体」が存在するのは、誰も否定できない。

その機能としての「心」の存在はどうか。

これもおそらく、3つの宗教のどれからも、異論はなかろうと思う。

動物にも「心」があるのだ。

動物にも、自らの意思があり、自己意識のようなものは

程度の差こそあれ、たぶんあるだろう。

さて、では

ヒト以外の動物、家畜において

「魂」や「霊」はどうだろう。

ここで、キリスト教は『ない』、というだろう。

キリスト教では、ヒトだけが神から「魂」や「霊」という神秘的な物を植えつけられた存在だからだ。

西洋人は、「心」すなわち「mind」というものは科学的に解明できると考えているらしい。

しかし、「魂」や「霊」すなわち「soul」や「spirit」は、神秘的なもので科学的に解明するのは不可能だと考えているらしい。

キリスト教においては、ヒト以外の動物に「心」はあるが、「魂」や「霊」は『ない』のだ。

キリスト教において、ヒトと他の動物との間は、ここで完全に分断されている。

したがって、家畜に対して慰霊をする、という発想はなく

家畜をヒトに与えてくれた神に感謝する、謝肉祭が行われる。

西洋人の脳は、そういう考え方で、家畜を見ているのである。

これに対して・・・

神道や仏教は、家畜に「魂」や「霊」は『ある』、というだろう。

その証拠に、われわれは「畜魂」という言葉を何の疑いもなく使う。

また「一寸の虫にも五分の魂」などという言葉もある。

畜魂碑ヒトの前世が

動物だったりする

輪廻の世界が存在する。

ヒトと動物との間に

キリスト教のような決定的な断絶は、ないのだ。

写真は

高さが5メートルはあろうかという

立派な畜魂碑。

我が診療区域内の

家畜共進会場に建っている。

当然、年に一度

この碑の前で

家畜の慰霊祭が行われる。

我々、東洋人の脳は、そういえ考え方で、家畜を見ているのだ。

釧路、大好き。

釧路ホッケー高校アイスホッケー全国大会が釧路で開催された。

1月24日(日)はその決勝戦。

釧路アイスアリーナにて、10:00〜

駒大苫小牧 VS 白樺学園

息子の友達が多く選手として出場する白樺学園は

釧路ホッケー2昨年に引き続き、決勝にコマを進め、優勝候補筆頭の駒大苫小牧を破って、日本一連覇を目指す。

第1ピリオドで1点を先取した白樺は、第2ピリオドに1−2と逆転を許したが

第3ピリオドで2−2に追いつき

釧路ホッケー3サドンデス方式の延長戦で

1点を先取し、3−2

見事、2年連続の日本一に輝いた!

妻と私も、釧路まで足を運び

息子達とともに、その試合を生で観戦し、応援し、清々しい感動を味わった。

高校アイスホッケーの全国大会で、連覇以上をした学校は、今までは駒大苫小牧しかなかったのだが

今日ついに、白樺学園が連覇を成し遂げ、高校アイスホッケー界に新しい歴史を刻んだ。

白樺の選手達、そして、指導者の先生方へ

心から「おめでとう!」と言いたい。

     *    *    *

ににし別川じつは、妻と私は23日(土)の夜から、釧路入りしていた。

釧路の街の居酒屋に行って、うまい魚で一杯!

というのが、以前からの計画だったのだ(笑)

釧路はとても寒い所だが

港町の情緒があふれていて、私は大好きである。

十勝にはない港町の雰囲気があるのだ。

鯨ユッケ1居酒屋のメニューに

鯨のユッケ(タタキのような刺身)があった。

釧路の地酒「福司」の熱燗を含みながら

うーん・・・

これが、たまらなく、うまい♪

釧路港には、調査捕鯨船が入るのだそうだ。

鯨ユッケ3新鮮な鯨が食べられるのだ。

シーシェパードの皆さんも

一度食べてみてはいかが?

絶対、うまいから・・・

「唯脳論」(6)

「唯脳論」で繰り返し言われているのは

要するに、「人の言うことのすべてはその人の脳の中にある」、ということと

「そのことを忘れるべきではない」、ということだと思う。

したがってこれから、私が唯脳論を参考にしながら宗教について書く場合

前もって、私自身の脳と宗教についても、少し書いておくのが礼儀?!かもしれない、と思った。

以下、それを書きます。

      *     *     *

私が生まれた時、母はプロテスタント派のクリスチャンだった。

しかし、父と祖父と祖母は、ある禅宗の檀家だった。

どんな結婚式を挙げたのか、私は良く知らない(笑)。

私と兄は小学校から中学まで、母に連れられてキリスト教会に通っていた。

しかし、祖父母の家の法事にも参加していた。

祖母が亡くなった後、祖父は家の仏壇を処分した。

その後、祖父と父は、母の影響でクリスチャンになった。

私は、そのときはもう北海道で就職していた。

私は屈折した無神論者になっていた。

結婚して、家を建てたときは、神道の建前をやり

母の要望で、キリスト教の石を地下に埋めた。

私の家の中には、神棚も仏壇も十字架もなかった。

そういうものは置きたくなかったのだ。

その後、妻の両親が亡くなった。

妻の両親の家には、日蓮宗の仏壇があった。

妻の姉達はみな、嫁ぎ先に別の宗派の信仰があったので

この日蓮宗の仏壇を、私と妻が引き取ることになった。

私の母はそれに難色を示したが、私の意志で押し切った。

かくして、現在、私の家には仏壇がある。

神棚はないが、正月には、注連飾りや鏡餅を置くことにしている。

・・・と、まぁ

こんな宗教環境で、私は今日まで生きてきた。

これで、私の宗教観、宗教に対してどんな考えを持っているのか、少しはご理解いただけるかと思う。

要するに、不真面目な日蓮宗の檀家、といったところ。

そんな私が、宗教と畜産について、ちょっと書いてみたいということである。

それを書く私の考えは、そんな私の脳の中でこしらえたものである。

え?前置きが長いって?

・・・ま、好きにやらせてくださいな(笑)

「唯脳論」(5)

「西洋生まれの科学が、どのくらい深くキリスト教に依存しているか。外部の人間として、われわれがしばしばそれを忘れるだけのことである。」

「強い論理志向と、神秘主義の奇妙な結合、それが西洋人の悪癖である。私はそう思う。」

と、養老氏は『カミとヒトの解剖学』のなかでそう言う。

『悪い』癖かどうかは、私はわからないけれども(笑)

そういう西洋人の論理志向は

彼らの家畜に対する考え方や接し方に対して

私も、しばしば気づくところであり

それがおそらく、キリスト教の教義に基づいているのだろう、というのも

なんとなく感じている。

まじめに信じているかどうかは疑わしいが、日本人の多くは仏教徒であり

日本の文化は、主にその仏教に根付いている。

仏教が日本にやってきたのは、飛鳥時代の538年、といわれている。

キリスト教が日本にやってきたのは、1549年(以後ヨロシク、とザビエル来日)。

この間に1000年の月日が流れている。

ただ、私は日本史の話をしようとしているのではなく

養老孟司氏の「唯脳論」を参考に、私の身の回りの畜産現場を見て

どんな景色が見えるのかを書いている。

「科学」とともに、「宗教」という大きなテーマがそこにあるようだ。

でも今度は

あんまりヘンな事を言うと、バチが当たるかもしれないので、気をつけながら行きたいと思う・・・
 



不思議なローソク

「唯脳論」について、まだ書きたいことがあるのだが

ちょっと一服。

後輩獣医師ё君の結婚披露宴に出席してきた。

出会いの場所は、往診先の牧場で

そこの従業員だった女性とめでたく結ばれたという。

その牧場の社長の祝辞も、とても心温まるものだった。

牧場が縁の結婚なんて、獣医師冥利に尽きることだと思う。

キャンドル2披露宴のテーブルにあった

不思議なローソク。

火をつけておくと

刻々と色を変える。

全部で何色変わるのか


キャンドル1いちいち数えていなかったけれど

美しさと不思議さと

酒の酔いが加わって

幻想の世界にいるようだった。

火を消すと

ローソクの色は、1秒ほどで、パッ、と消える。

消えたら、ただの白いローソクになる。

いったいどんな仕掛けになっているのだろう。

つくった人はすごいなぁ・・・



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