北の(来たの?)獣医師

北海道十勝地方で牛馬を相手に働く獣医師の最近考えていることを、 散文、韻文、漢詩 でつづったものです。

家事

家事の中では料理が一番好きである、生産的だからね。掃除や洗濯は、マイナスをゼロへ戻すだけの非生産的行為に思えてしまうのです。
休日はほとんど私が食事を作ります、写真は最近の作品。
どう?うまそうでしょ。
 

グラタンおでん   

 

 

 

    実 力

  父親休日入厨房
  気合料理男手塩
  全員一口顔見合
  結局選択即席麺

学者と臨床家(9)

動物を擬人化して、やたらと可愛がる人たちに対して
世間はバカにして、良くないことだとする風潮がある。
その動物の本来の性質を無視している、とか言ってね。
しかし・・・
その動物の本来の性質とはいったい何か?
人間はどれだけ動物のことをわかって物を言っているのだろうか?
動物を客観的に見てばかりでわかったつもりな人の態度を大変疑問に思うのですよ。
動物を飼育して生計を立てている人達はその道のプロであるのだけれども、その人たちがどれだけその動物の本来の性質を理解しているかは、その飼育態度で推測するしかないでしょう。
 
飼い主の動物に対する理解というのは、理論ではないのです。
「生き物」対「生き物」のぶつかり合いから生まれてくる感情なのです。
だから・・・
動物を擬人化するほどの愛情を持って家畜を飼っている人と
動物を単なる金を生む道具と思って家畜を飼っている人では
前者の方が良い畜産家になる可能性が高い、と私は思っている。
動物を擬人化して何が悪い。
これはわたしが臨床家として経験してきたことであります。

私の漢詩

理系人間の集まりである獣医師の中にあって、文芸派!?を自認するワタクシめは、実作者としての立場から、現代日本の短詩文芸に対して、一角の意見を持っているわけであります。
小説・演劇などには、「悲劇」と「喜劇」という風なジャンル分けが一応ありますね、「ジャンル」という言葉は評論家の使う言葉でして、実作者としてはそんな分類は創作した後の結果でありどうでもいいのですが、ここではちょっと評論家風に、自分のこしらえている物を外側から眺めてみたい。
端的に言いまして
伝統芸能には例えば「能」という悲劇と「狂言」という喜劇がペアで存在している。
例えば「短歌」という真面目な文芸に対して「狂歌」というお茶らけた文芸がある。
例えば「俳句」という風狂な文芸に対して「川柳」という粋な笑いの文芸が存在する。
では・・・
「漢詩」という美しく崇高な文芸に対応する砕けた笑いの漢文詩はあるのだろうか?
これがどうも見当たらないんだなぁ
「漢詩」っていろいろ規則ごとやらなんやら、千年も前の唐の時代に
李白先生や杜甫先生らが頂点を極めてから、それがあまりにも完成されて
完璧に美しいもんだから、それ以降の人が、その崇高な美しさに畏れおののき
その完成されたものを守ろうとしすぎているのではないのかな
おかげで、現代の日本ではさっぱり漢詩実作者の裾野が広がらない
漢詩の鑑賞者はいても実作者がいない
真面目な杜甫先生はどうか知らないが、豪放磊落な李白先生は
雲の上できっと嘆いているに違いないと私は思うんだけどなぁ
漢詩を作るにあたって一番大切なものは、小難しい形式などではなく
詩を叫びたいという「魂」のはずなのだっ!!
 
  続・現金娘
 娘等呼我願同行
 街角買物便利店
 外見仲良家族絆
 内実財布運転手
 
 

学者と臨床家(8)

 私の職場の組織については、このBlogにはあまり詳しく書かないつもりなのですが、自分の生活に深くかかわっている以上そんな訳にも行かなくなってきた(笑)。
昨日の新年会はうちの組織の職員会主催。こういう飲み会で決まって出る話題はといえば、職員の人事異動の話。私は就職してから20年になろうとしているのに、まだ診療所を転勤したという経験がなく、今年こそ動くだろう(リーチかかってる)と言われている身なのです。転勤した連中の話を聞いてると、一番苦労するのは、診療技術の違いではなくて、転勤先の地区の飼主さん始め周囲の人との人間関係を新しく一から作り上げなければならない事だという。
診療技術の方(うちの組織には転勤による「技術の高位平準化」という謳い文句がある)は同僚に教えてもらえるし講習会等もあるから、すぐに対応できる。しかし、飼主さんとの信頼関係を新しく築き上げるためには、これは相当な時間がかかることは明らかだ。飼主さんといろんな場面で時間を共有して少しづつ心の扉を開いて行かねばならないのだから。もちろん飼主さんの心を掴む方法が書いてある本なんて無いし、そんな講習会も無いわけだからね。
紙に表と裏があるように、獣医師には技と心がある。
私の考えで行くと、獣医学者の先生方は表の技を重視し、我々現場の臨床家は裏の心を重視する。
だから、学者の転勤よりも臨床家の転勤の方が負担が大きいのではないかな。
今年の4月1日、私はどこの町の診療所に居るのだろう・・・

新年会

毎度我が職場の新年会。十勝川温泉に50名近く集まっただろうか、四つの診療所の合同でやるようになってゲームやら抽選やら、幹事さんも大変だったろう。
久しぶりに麻雀やりましたよ、後輩のN君と二人でリベンジを誓っていた強豪先輩獣医のSさんとKさんを対戦相手に指名。
朝の四時まで半荘四回りの勝負!
 
新春の雀卓に「発」打ち放つ
 
結果私とN君の二人ともハコテン何度もくらって撃沈・・・二人合わせてマイナ150・・・ははは
 
 

気になる同世代

私ら40台半ばの世代って、最近すこしづつ現代日本の一翼を担ってきている気がするのです。そんな世代の連中の中で、私の気になる男&女を紹介します。
一人目は、斉藤孝君。
「君」なんてエラそうですが、実は彼は高校の同窓生なのです。
彼は硬式テニス部の秀才で東大へ行ったエリート。私は山岳部の凡才で帯広畜産大。あまり親しくなかったし、彼に何回か声を掛けられたことは(すごくソフトな優しい声)覚えてるけれど内容は思い出せないと言ったぐらいの仲に過ぎませんでした。でも、同窓の誼みで、著書を数冊読んだ。国語の学習を単なる知識の蓄積ではなく、体感、息遣い、訓練、といった一種のスポーツであるという理論は斬新だ。3色ボールペンによる読書法や原稿用紙10枚を書く力のつけ方など、すべて実践に裏付けられた方法論でとても説得力がある。彼のお勧め図書のおかげで、私の読書の幅がとても広がったのには感謝です。アカデミズムに収まらない発想と行動力。彼もまさに、骨のある学者のひとりだと思う。偶然ではあるけれど、こんな同窓生がいることを誇りに思いますよ。

尿閉の治療(尿道口形成術)

今日の昼からは、尿石で尿閉になった肥育牛の緊急手術。
陰茎の根元が石で詰まってしまって膀胱がパンパン、こういう場合は直ちに肛門と陰茎の間の会陰部を切開して尿道を十分に引っ張り出し、チョキンと切断する。そうすると、たまりにたまった尿が切った所からどんどん出てくるのです。この瞬間、この牛の陰茎は一生お役ご免となります。めでたしめでたし。
新しく縫い合わせて造った尿道口は会陰部に開口するので、これからはまるで雌牛のように、後方へ尿をするようになります。
ニューハーフのお姉さん達の工事も似たようなイメージなんだろうな、たぶん。牛の場合は不要になった陰茎はつけたままだけど、彼らのはちゃんと取ってあげないとだめだよね。

シバれた

昨日の晩、診療車から補液剤を家の中に避難させておくのを忘れてしまった。リンゲル2結果がこのとおりカチンカチン・・・罰符です。こんなまま、緊急往診入ると、溶かすのに余計な時間がかかって飼主に迷惑をかけてしまう。今朝はゼロ件で良かった。(呑気に写真なんて撮ってる場合かよ)

リンゲルも凍てて病馬を待たせけり

詩四首

  強 食
東方強族好食獣
肥牛数万屠殺場
西方貧民掘石油
死人幾千砂漠上
 
  国際化
国産横綱去土俵
輸入力士奪優勝
全日本人浸飽食
空腹精神不発生
 
  地 球 
拝啓某国政府殿
南島環礁核実験
酸化炭素吐放題
要請再考減汚染
 
 農耕民族魂
安値侵攻輸入肉
付着悪疫病原体
対抗国産天恵食
合掌感謝心先代

勝負?

二国の酪農と牛肉を、ごく大雑把に比較してみます。
 
N国:〇料費・・・粗飼料約60%自給、輸入濃厚飼料約30円/
   燃料費・・・軽油で約90円/ℓ
   人件費・・・最低で300万円/年(日本人に限る)
   さ軻の生産者売渡価格・・・約70円/ℓ
   サ軻の小売価格・・・ステーキ約1500円/200g
 
A国:〇料費・・・粗飼料、濃厚飼料すべて自給
   燃料費・・・軽油で約50円/ℓ
   人件費・・・約150万円/年(メキシコ人など外国人可)
   さ軻の生産者売渡価格・・・約40円/ℓ
   サ軻の小売価格・・・ステーキ約500円/200g
 乳房F1              

敵を知り己を知れば百戦危うからず、なんて言うけれど・・・

 

,砲弔い討蝋馘擇離妊さでN国のボロ負け。

▲┘優襯ーについて、A国は自国やその周辺地域に豊富に埋蔵量があるにもかかわらず、わざわざ遠い産油しか取り柄のない国をイジメつぶして、業界支配をもくろんでいる。A国は人道的に問題アリ。まぁ、N国もその子分になりつつあるわけだけれど、責任は普通親分の方が重いよね。

N国の社長や親方は従業員たちと一緒に飯を食べたり風呂に入ったり、家庭的な付き合いができるけれども、A国はじめ欧米諸国の社長や管理職の連中は、そんなことは絶対にしない。従業員達と人種が違えばなおさらのことで、その心の裏には差別があるのは明らか、A国にイエローカード。

そういう生産過程を経た結果が、い箸イ箸いΣ然覆砲覆襪里任后世界的に競争力のあるA国の畜産物(食品)はホントに安いけれど、その安さはどこから来るのか、畜産の科学技術の差などでは決してない、という事はちょっと考えてみただけで判りますよね。

ファストフード愛好者には、N国だってそういう強国の畜産と真っ向勝負をして生き残って行くべきだ、なんて言う人たちが居るけれど、こんなアンフェアな土俵でまともに勝負しろって?言う方がどーかしてるんじゃないの?そゆこと言うやつにはレッドカード!!

学者と臨床家(7)

引きこもりしている人みたいに、人間狭い世界でも暮らしてゆけるとは思いますが、私のような牛馬の獣医などをやってると、そんなわけには行かない・・・あたりまえか(笑)
まず患畜と向き合うことからはじまり、それと同じかむしろそれ以上大事な飼い主とのコミュニケーション。その家族とのコミュニケーション。農協や役場職員、家畜商(いわゆる博労)、削蹄師、飼料会社や薬品会社など、飼い主の周囲の方々とのコミュニケーション。家畜保健所や大学の獣医師とのコミュニケーション。これらのどこかに支障があると仕事がうまく行かないのが臨床家の仕事であります。
牛馬の病気が治るのは直接的には私ら獣医師の仕業ですが、それはそう見えているだけで、本当は上に挙げたすべての人たちの共同作業であるということをちゃんと知っていなければいけないのです。共同作業に必要なコミュニケーションは、相手の気持ちや考え方を認め理解することから始まる。
ところが、畜産界は此の頃やたらとグローバル化してきて、牛馬に対する考え方、特に一つの強大国の強引な考え方が日本古来の牛馬への接し方とはかなり違う形でドカンと入ってくるようになった、それも急激に。しかも、実際この考え方を認めて理解するっていうのがじつに大変なんですよ。
学問の世界は1+1=2で万国共通だからコミュニケーションをとりやすいけれども、臨床家の義理人情の世界というのは、国によってさまざまで、学問のような理論ではないから、感情的にどうも受け付けないということが頻繁に生じる。どうも某大国の人たちの畜産に対する考え方に違和感ありまくりな今日この頃なのです。某大国って何処だかは直ぐわかりますよね。具体的なことは、これから少しづつ書こうと思います、ハイ。

命のボーダーライン(2)

食用肉として殺した家畜の魂を鎮めるために、牧場や屠殺場の片隅に「獣(畜)魂碑」を建て、「獣(畜)魂祭」をとり行うのは、日本全国どこでもある風景でありますが、これは世界の中で、日本だけに見られることなのだろうか?それとも仏教国だけに見られる風景なのだろうか?キリスト教国では見られるのだろうか?
どなたか、詳しい方いたら教えてほしいなぁ・・・

命のボーダーライン

牛馬を健康にするために日々働いている私ですが、何のために彼らの健康を守るかといえば、もちろん人間のためであります。そのためには、時には健康な牛馬を殺して肉にもするのです。
このことに関して、とある食肉検査官氏の大変興味深いBlogがあります。
お互い獣医師同士で、この辺の考察を深め合って行きたいですね。

犬のふしぎ

何年も前から気になっていることなのですが。
犬の嗅覚って人間のそれより1000倍〜10000倍も鋭いと言われてますよね。
そんな犬たちが、他の犬のウンコをなめるように夢中になって嗅いでいる。
あんなことして大丈夫なんですかね?
 

初仕事は助産だった

 濡れ子                                                                 

賀客まで牛のお産を手伝ひぬ

謹賀新年

今年の抱負に代えて、私のお気に入りの歌
 
 夕されば小椋(をぐら)の山に臥す鹿の
           今夜(こよひ)は鳴かず寝(い)ねにけらしも
 
万葉集第九巻、巻頭の一首。「・・・いねにけらしも(もう寝たようだ・・・)」このフレーズに私はシビれているのです!!・・・ここまで詠める鹿への優しさ、古人の自然との一体感。この感性を何とか少しでもいいから受け継いで行きたいものです。
 
ちなみに、この歌の作者名は、泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬稚武天皇(はつせあさくらのみやにあめのしたしらしめししおほはつせわかたけのすめらみこと)・・・覚えられっかよこんなの・・・

2004私的10大ニュース

。掲ぶり帰省、私に俳句を教えてくれた祖父の墓参り(1月)
通勤に徒歩を組み入れる(4月)
B子のSH中学野球部後援会副会長となる(5月)
そ銃鷸慊可掾腓韮化鬼崙院(6月)
デ魯好櫃硫饂ニ攀念観戦、競馬場で駒大苫小牧優勝を観る(8月)
λ務て蚕丹綮嫗膕餘藺衄表(9月)
В苅害麈仗誘┣饒換饌膕馥蛋入選(10月)
大とかち俳句大会初参加、この縁でNPO十勝文化会議会員に(11月)
俳句雑誌「みちのく」全国大会初参加(12月)
職場の575、漢詩、友の会十勝支部旗揚げ(12月)
 
祖父の墓参りのおかげで、文芸関係に良いニュースが多かったかな。ともあれ、やはり妻、子供、親が健康でいてくれたことが何より良かった。体調崩して家族に迷惑かけたのはのは私だけか(ゴメンナサイ・・・)

キモい。ウザい。

高2と中3の娘と中1の息子がいるんですが、まったくコイツら、特に上の2人の娘ときたら、私の顔を見ればウザいだキモいだって、まぁ確かに汚い仕事してますから・・・「気持ち悪い」のは分かるけど、「ウザッたい」という言葉は、私の若い頃なかったんで、未だにどーもよくわかんないなぁ。
 
 現金娘
我娘最近反抗期
無粋不潔父嫌遠
或時急変猫撫声
高価洋服店舗前

学者と臨床家(6)

プロダクションメディスン、ハードヘルスマネジメント、といった言葉が獣医学の領域に顔を出すようになり、今まで個体の治療ばかりやっていたいわゆる火消し獣医の私も、すこしづつ牛群検診などの生産獣医療を手がけるようになりました。この手の仕事で重要なのは、牛を個体として診るのではなく、牛群を一つの大きな生き物として捉え、各個体はそのパーツであると考える所なんですよね。100頭の牛群で年間3頭以下の牛の死廃ならば健康な牛群だ、というような言い方をする。牛が3頭も死んでるのになぜ健康なの??と思っちゃいけないのです。小動物医療の世界ではこんな言い方はありえないですね。犬群や猫群の一部は殺してもいいなんてことにはならない。これはむしろ、人間の危機管理に通じるものがあるんですよ。乗客100人の船が難破しましたが救命ボートが80人分しかない、さてどうするっていうやつ。これ、自然科学ではなく、人文社会学の分野だよね。
ある牛群の牛100頭を科学的に客観的に能力とリスクを評価して、20頭の淘汰を推奨したとします。それを飼い主が素直にハイと言ってそのとおりに淘汰するかといえば、絶対にそうはならない。飼い主の心の中には、能力はいまいちだけど思い入れの深い牛、お気に入りの血統の牛、リスクはあっても特にかわいがっている牛、というのが必ずいて、飼い主は淘汰牛の選択に苦渋し迷いに迷う。
自然科学は牛群を分析して精密な情報を提供することはできるのだけれど、その先の最終的な判断は飼い主の心、人情がすることなんですよ、そこの所に踏み込めるのは誰か・・・ヨッ待ってました(笑)これが臨床家なんだと私は思うんですよ。時には飼い主と酒など酌み交わしながら「あの牛もうそろそろ肉にしたほうがいいんじゃないの?」なんて話もするわけです。こういう所は大学の講義では出てこないかも。獣医学部の学生諸君!国家試験の勉強だけでなく人文社会学の勉強も忘れずにね。

らしくなってきた

今朝の気温は管内の陸別町で−26.5℃、わが町もそれに続く−24℃をマーク。川に近い所なら軽く−25℃は超えてるでしょう。天気は快晴。うーん、やっと十勝らしくなってきたね。
 
踏み出せば雪がモゴリと物申す
 
けあらしや熱湯流れゐる如し
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