俳句というものには季語が入っていなければならないし(有季)
五七五という17音に出来るだけまとめたほうが良いし(定形)
そして、出来るだけ旧仮名遣いのほうが良い(文語)
と私は考えております
自作はもちろん、他人様の俳句も上の3つの条件を満たさないものは、たとえ良いものでも俳句としては高い評価をしません
私は、有季定形堅持のバリバリの伝統俳句派を自認するものであります
 
あれっ??漢詩について語ったこととはずいぶん違うんでないかい??と思った方おられるでしょう
 
その通り!!漢詩については伝統を蹴っ飛ばす私ですが
俳句については、それから180度振り返って、伝統遵守の立場を取ります
現代の日本で、漢詩と俳句では、その普及や浸透の具合が180度違うのです
漢詩はいわば冬の時代、大昔の伝統的な中国人の作品をただ読んでいるだけ、実作者がほとんどおらずその裾野はサッパリ広がらない
これに対して俳句は今や夏の時代、ちびまるこちゃんを見ずとも、伊藤園のお茶を買わずとも、日本全国的に実作者があふれ中高年層を中心に俳句ブームの裾野は広がる一方であります
 
つまり、お寒い漢詩界には火をたきつけて、お熱い俳句界には水をかけろ、というのが私の考えなんです
 
具体的には、これからいろいろ書いてゆきたいのですが
ひとつ大事なことを言えば、いみじくも俳句と名の付くものをつくるなら
「ルールを守りなさい」ということ
スポーツだってそうではなかろうか
オフサイドのないサッカーやフォアボールのない野球なんて
まぁそれなりに楽しいけれど、低レベルな子供の遊びと言わざるを得ない
これだけ俳句人口がいるのだから、いつまでも自分勝手なルールでダラダラ遊んでないで、きちっとした公のルールの上で俳句を楽しみ競うべきなのです
ついでに言えば、漢詩の場合はルールがあまりにも厳しすぎて、作って楽しむ人がほとんど誰もいなくなってしまったわけです