「唯脳論」で繰り返し言われているのは

要するに、「人の言うことのすべてはその人の脳の中にある」、ということと

「そのことを忘れるべきではない」、ということだと思う。

したがってこれから、私が唯脳論を参考にしながら宗教について書く場合

前もって、私自身の脳と宗教についても、少し書いておくのが礼儀?!かもしれない、と思った。

以下、それを書きます。

      *     *     *

私が生まれた時、母はプロテスタント派のクリスチャンだった。

しかし、父と祖父と祖母は、ある禅宗の檀家だった。

どんな結婚式を挙げたのか、私は良く知らない(笑)。

私と兄は小学校から中学まで、母に連れられてキリスト教会に通っていた。

しかし、祖父母の家の法事にも参加していた。

祖母が亡くなった後、祖父は家の仏壇を処分した。

その後、祖父と父は、母の影響でクリスチャンになった。

私は、そのときはもう北海道で就職していた。

私は屈折した無神論者になっていた。

結婚して、家を建てたときは、神道の建前をやり

母の要望で、キリスト教の石を地下に埋めた。

私の家の中には、神棚も仏壇も十字架もなかった。

そういうものは置きたくなかったのだ。

その後、妻の両親が亡くなった。

妻の両親の家には、日蓮宗の仏壇があった。

妻の姉達はみな、嫁ぎ先に別の宗派の信仰があったので

この日蓮宗の仏壇を、私と妻が引き取ることになった。

私の母はそれに難色を示したが、私の意志で押し切った。

かくして、現在、私の家には仏壇がある。

神棚はないが、正月には、注連飾りや鏡餅を置くことにしている。

・・・と、まぁ

こんな宗教環境で、私は今日まで生きてきた。

これで、私の宗教観、宗教に対してどんな考えを持っているのか、少しはご理解いただけるかと思う。

要するに、不真面目な日蓮宗の檀家、といったところ。

そんな私が、宗教と畜産について、ちょっと書いてみたいということである。

それを書く私の考えは、そんな私の脳の中でこしらえたものである。

え?前置きが長いって?

・・・ま、好きにやらせてくださいな(笑)