1) 形態

において、湯呑みはカップより単純であり

2) 機能

において、湯呑みはカップより多機能であり

3) 使用方法

において、湯呑みは カップより熟練を要する

ということを、前回に述べた。

逆に、カップの側からみれば

1) 形態

において、カップには湯呑みよりも、目的達成のための工夫がなされており

2) 機能

において、カップは湯呑みよりも、一点に集中させた機能をもち

3) 使用方法

において、カップは湯呑みよりも、誰でも簡単に使える利便性をもつ

と言えるだろう。

湯呑みを箸に、カップをフォークに、それぞれ置き換えても

同様のことが言えるだろう。

そして

カップやフォークという道具を産み出したのは、西洋の食文化であり

湯呑みや箸という道具を産み出したのは、東洋の食文化である。

というのも、異論は無いと思う。

ここからは、私の推論だが・・・

ヒトが生きて行くために必ずしなければならない、飲食という行為をするにあたって

西洋人は、自分の周り(自分の外側)のものを変化させて、その目的を達成しようという意識があり

その結果として、目的達成のためにふさわしい、工夫された形の食器を作り上げた。


カップやフォークを見ていると
DVC00259

自分自身は変わらずに、周りを変化させて、目的を達成しようとする意識が宿っているような気がするのである。

この意識を、仮に『カップ意識』、と呼んでみたい。

ヘンな言葉だけど、他に思いつかないので・・・(笑)

これに対し

東洋人は、自分自身(自分の内面)を変化させることによって、その目的を達成しようという意識があり

その結果として、食器の形は必要最小限の単純な形の食器を使いこなすようになった。

湯呑みや箸を見ていると
DVC00258

自分自身が変わって、周りに合わせてゆくことで、目的を達成しようとする意識が宿っているような気がするのである。

この意識を、仮に『湯呑み意識』、と呼んでみたい。

これも、ヘンな言葉だけどね・・・(笑)

さて、そうすると

日本人の家庭には

どんな家庭にも湯呑みや箸が、ある。

またカップやフォークも、ある。

どちらも使いこなせるのだ。

でも、日常的には、湯呑みと箸を主に使う国民である。

日本人は『湯呑み意識』を強く持つ国民だから。

しかし

欧米人の家庭には

カップやフォークは必ずあるだろうが

湯呑みや箸のある家庭は、非常に限られているだろう。

そしてもちろん、日常的にはカップやフォークばかりを使っている。

欧米人は『カップ意識』の強い人々だから。

これが

いわゆる、日本の『欧米化』、の正体ではなかろうか。

逆に

欧米人の『東洋化』、のほうはなかなか見つけることができない。

彼らの頭の中には、自分自身は変わろうとしない意識があるから

当然、そうなってしまうのだろう。 

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