著郎三恒井白 『史学医獣本日』

の、「古代より徳川末期篇」の章をついつい読みふけってしまっているのだが

そこで登場する徳川時代の馬というのは

今の自動車と同様、無くてはならない存在、と考えていいと思うのである。

陸運は現代ほど発達してないにせよ

当時の人間社会にとって、いかに馬が大切な存在であったかは想像に難くないだろう。

であるとすれば、その時代の馬医者というのは

今の自動車修理工のように、それぞれの町に無くてはならない存在であったであろう。

今よりも圧倒的多数の人が馬にかかわっていたであろう。

さて

徳川吉宗時代の、享保2年の馬医書『武馬必要』ににおいて

「獣医」という言葉が初めて記されたのだそうだ。

それ以前は、「獣医」ではなく、「馬医」という言葉が使われていた。

著郎三恒井白 『史学医獣本日』すなわち

『日本獣医学史』 白井恒三郎著 には

旧態依然とした獣医療を施す「馬医」と

新しい技術に積極的な「獣医」とが

馬をめぐって凌ぎを削っている。

そんなことを想像させる文章と、短歌(狂歌?)が載っている。

私の興味は、もっぱらどうしてもそこに行ってしまうのである(笑)

その短歌とは


 かたもなき生死も知らぬ馬くすし佛(ほとけ)たのみて地獄にぞいき


診ている馬の生き死にも判らない馬薬師(うまくすし)が、結局神頼みをしている様子を皮肉っている。

なんだかちょっと、耳の痛い歌だ(笑)

また


 せんやしな本草くすりとききけれどどの病にてと知らでせんなし


立派な薬は手元にあるけれど、適応症がよくわかっていない様子を皮肉っている。

当時のいい加減な薬剤処方を皮肉ったものであろう。

しかしこれも、我が身を振り返ると、ちょっと耳の痛い歌だ(笑)

当時の人はなかなか鋭い。

ともあれ

立派な獣医術を説きながらも

こういう短歌(狂歌?)も自然にちりばめられている徳川時代の馬医書の著者に対して

私は、同じ日本人として、この上ない愛着と尊敬の念を抱いてしまうのである。

五七調の韻文が

獣医学書に堂々と記されている事実に感動するのである。


  *    *    *


江戸時代の狂歌といえば

やはりなんといっても、幕末の相模湾に黒船が到来した時の


 太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず


が最も有名だ。

ご存知の通り、ぺリーの黒船が四艘やってきたのを見て

神奈川県の上喜撰というブランドのお茶に引っ掛けて詠まれたものだ。

この神奈川のお茶の歌を元にして、私は


 茶産地の怒りを覚ます放射線 待った掛けられどこにも売れず


と、詠んでみたのだですが・・・

北海道獣医師会雑誌の来月の投句は

これにしようかなー・・・

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