職場から休日をいただいて
吟行句会の三連荘(サンレンチャン)をした。
最初の句会は
帯広の「柏林」誌の紅葉狩り吟行会で
士幌町の下居辺の緑風荘へ。
今年の十勝地方は残暑が長引くこともなく
暦の通りに気温もしっかりと下がっていたので
紅葉は色付きが良いらしい。
前線が通過した後の風の強い日だったが
実に秋らしい爽やかな風景を
存分に楽しみつつ
句会をする事が出来た。
句座敷の窓いっぱいに照紅葉
翌日の句会は
地元幕別町札内の「かたくり俳句会」と
幕別町忠類の「ナウマン吟社」との
合同吟行句会だった。
毎年一度づつ、この二つの句会は合同で吟行会をやっている。
我が「かたくり俳句会」の方は先月から
40歳代の新人が加入するなど
なかなか勢いがあるのに比べて
「ナウマン吟社」の方はここ数年
古住蛇骨先生をはじめリーダー格の俳人が相次いで鬼籍に入られ
細々と寂しい句会となっている。
私の所属しているかたくり句会が
ナウマン吟社を励まして来たような、そんな句会だった。
この日も引き続き、たいへん風の強い日だった。
小リンゴの身を寄せ合へる枝に風
一日空けて
そのまた翌日
今度は、小樽へと旅立った 。
十勝の俳人のお兄さんお姉さん方を6人車に乗せて
日本伝統俳句協会北海道小樽支部の主催する
「北の年尾忌俳句会」へ の初参加。
高浜虚子の長男高浜年尾は小樽商大出身で
51歳の時にホトトギス主宰を継いだ。
年尾は私の祖父と同い年という事や
小樽には私が道新の日曜文芸欄でお世話になっている辻井のぶ先生と
そのご主人の辻井卜堂(ぼくどう)先生と次男で俳人の靖之さんが
この句会を取り仕切っているので
是非とも参加したい句会だった。
小樽には高浜年尾の句碑など、縁のある物が数多くある。
午前中はそれを見て回りつつ俳句を作り
午後からは道新の小樽支社ビルの3階で句会。
総勢70人を越える大きな句会だった。
「北の年尾忌句会」に
十勝地方から7人も参加したのは初めての事だったらしく
主催者の皆さん方に、たいへん喜んでいただけたようだ。
句会の後は、小樽をはじめ札幌や苫小牧の方々と
一杯やりながら、楽しい一時を過ごすことができた。
台風の進路が気になったが
心配された暴風雨も無く
高速の道東道は通行制限も無く
充実した俳句の旅を終える事が出来た。
年尾忌へ偏西風を味方とし
吟行句会の三連荘(サンレンチャン)をした。
最初の句会は
帯広の「柏林」誌の紅葉狩り吟行会で
士幌町の下居辺の緑風荘へ。
今年の十勝地方は残暑が長引くこともなく
暦の通りに気温もしっかりと下がっていたので
紅葉は色付きが良いらしい。
前線が通過した後の風の強い日だったが
実に秋らしい爽やかな風景を
存分に楽しみつつ
句会をする事が出来た。
句座敷の窓いっぱいに照紅葉
翌日の句会は
地元幕別町札内の「かたくり俳句会」と
幕別町忠類の「ナウマン吟社」との
合同吟行句会だった。
毎年一度づつ、この二つの句会は合同で吟行会をやっている。
我が「かたくり俳句会」の方は先月から
40歳代の新人が加入するなど
なかなか勢いがあるのに比べて
「ナウマン吟社」の方はここ数年
古住蛇骨先生をはじめリーダー格の俳人が相次いで鬼籍に入られ
細々と寂しい句会となっている。
私の所属しているかたくり句会が
ナウマン吟社を励まして来たような、そんな句会だった。
この日も引き続き、たいへん風の強い日だった。
小リンゴの身を寄せ合へる枝に風
一日空けて
そのまた翌日
今度は、小樽へと旅立った 。
十勝の俳人のお兄さんお姉さん方を6人車に乗せて
日本伝統俳句協会北海道小樽支部の主催する
「北の年尾忌俳句会」へ の初参加。
高浜虚子の長男高浜年尾は小樽商大出身で
51歳の時にホトトギス主宰を継いだ。
年尾は私の祖父と同い年という事や
小樽には私が道新の日曜文芸欄でお世話になっている辻井のぶ先生と
そのご主人の辻井卜堂(ぼくどう)先生と次男で俳人の靖之さんが
この句会を取り仕切っているので
是非とも参加したい句会だった。
小樽には高浜年尾の句碑など、縁のある物が数多くある。
午前中はそれを見て回りつつ俳句を作り
午後からは道新の小樽支社ビルの3階で句会。
総勢70人を越える大きな句会だった。
「北の年尾忌句会」に
十勝地方から7人も参加したのは初めての事だったらしく
主催者の皆さん方に、たいへん喜んでいただけたようだ。
句会の後は、小樽をはじめ札幌や苫小牧の方々と
一杯やりながら、楽しい一時を過ごすことができた。
台風の進路が気になったが
心配された暴風雨も無く
高速の道東道は通行制限も無く
充実した俳句の旅を終える事が出来た。
年尾忌へ偏西風を味方とし
句座敷の窓いっぱいに照紅葉
良いお句ですね。
これからはこちらで会話をさせて頂きます。
お元気でお過ごしください。