帰省ついでというか、こちらがメインだったというか、
実家に泊った翌朝、掛川へ向かった。
掛川という町は、静岡県西部の遠州
東に大井川、西に天竜川が流れる
東海道の要所である。
東海道沿線の都市の多くは大体そうなのだが
由緒ある城下町である。
その仲でも、掛川市の掛川城という城は
戦国時代に活躍した山内一豊(やまうちかずとよ)ゆかりの名城で
掛川市挙げてその保存と活用に相当力を入れているようだ。
保存状態が大変よく、観光資源として丁寧に整備されている。
天守閣に登って、界隈を一望でき
御殿や茶屋や廓(くるわ)もそれぞれに保存され整備されて
足利時代から江戸時代まで綿々と
栄えた当時を偲ぶのに十分な姿を残している。
今回はこの掛川に来ることが
私の目的の一つだった。
そこで、今年の東海ホトトギス俳句大会が開催された。
私が俳句を学び、それを発表する結社の雑誌として
「ホトトギス」
「桑海」
「柏林」
さらに、日本伝統俳句協会の機関誌
「花鳥諷詠」
という、4つの雑誌を活動の場としている。
そのうち、最も大きなグループは
「ホトトギス」である。
ホトトギスは全国的な結社なので
各地方で毎年大会か行われている。
今年の7月は、私の故郷静岡の県内でそれが行われると知り
是非とも参加してみたいと思っていて
それを、叶えることができた。
掛川城と、掛川駅周辺、そして
駅の南にある花鳥園という不思議な南方鳥類園を吟行地とした
第33回東海ホトトギス俳句大会には
東海地区のホトトギスの誌友の方々と一緒に俳句を楽しむことができ
今まで、雑誌上でお名前しか拝見していない方々の
名前と顔が次々と一致し、楽しく交流を持つことができた♪
その事がなんといっても
今回の旅の一番の収穫だった。
で、私の俳句の成績の方はというと・・・
稲畑汀子・廣太郎両先生の選には
一句も入らなかった・・・
ですので、ここには書きません・・・
実に悔しい結果となってしまった(笑)
十勝に帰ってきた今
冷静に考えてみると
初めての故郷静岡での大会参加で
気分が高揚し、気合が入りすぎて
表現が硬く、仰山になっていたようだ。
私の悪い癖が出た、と思っている。
左の写真の道具を使う
「牛のニコイチ捻転去勢法」
の動画を撮りました
写真をクリックして
ご覧いただけます
実家に泊った翌朝、掛川へ向かった。
掛川という町は、静岡県西部の遠州
東に大井川、西に天竜川が流れる
東海道の要所である。
東海道沿線の都市の多くは大体そうなのだが
由緒ある城下町である。
その仲でも、掛川市の掛川城という城は
戦国時代に活躍した山内一豊(やまうちかずとよ)ゆかりの名城で
掛川市挙げてその保存と活用に相当力を入れているようだ。
保存状態が大変よく、観光資源として丁寧に整備されている。
天守閣に登って、界隈を一望でき
御殿や茶屋や廓(くるわ)もそれぞれに保存され整備されて
足利時代から江戸時代まで綿々と
栄えた当時を偲ぶのに十分な姿を残している。
今回はこの掛川に来ることが
私の目的の一つだった。
そこで、今年の東海ホトトギス俳句大会が開催された。
私が俳句を学び、それを発表する結社の雑誌として
「ホトトギス」
「桑海」
「柏林」
さらに、日本伝統俳句協会の機関誌
「花鳥諷詠」
という、4つの雑誌を活動の場としている。
そのうち、最も大きなグループは
「ホトトギス」である。
ホトトギスは全国的な結社なので
各地方で毎年大会か行われている。
今年の7月は、私の故郷静岡の県内でそれが行われると知り
是非とも参加してみたいと思っていて
それを、叶えることができた。
掛川城と、掛川駅周辺、そして
駅の南にある花鳥園という不思議な南方鳥類園を吟行地とした
第33回東海ホトトギス俳句大会には
東海地区のホトトギスの誌友の方々と一緒に俳句を楽しむことができ
今まで、雑誌上でお名前しか拝見していない方々の
名前と顔が次々と一致し、楽しく交流を持つことができた♪
その事がなんといっても
今回の旅の一番の収穫だった。
で、私の俳句の成績の方はというと・・・
稲畑汀子・廣太郎両先生の選には
一句も入らなかった・・・
ですので、ここには書きません・・・
実に悔しい結果となってしまった(笑)
十勝に帰ってきた今
冷静に考えてみると
初めての故郷静岡での大会参加で
気分が高揚し、気合が入りすぎて
表現が硬く、仰山になっていたようだ。
私の悪い癖が出た、と思っている。
左の写真の道具を使う
「牛のニコイチ捻転去勢法」
の動画を撮りました
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