昨日、Facebookでたまたま五十嵐秀彦さんのページを覗いていたら、
目が釘付けになった。
秀彦さんの「寺山修司論」が、現代俳句協会のHPから読めるようになったのだ。
早速、PDFファイルを印刷して読ませていただいた。
じつは、私は学生時代、寺山修司にハマったことがあった。
とある書店でたまたま寺山修司の文庫本シリーズを手にとって、
ページを開いたときに飛び込んできたフレーズに、
なぜかとても心を打たれるものがあって、
それから数年間、寺山の著作を意識して読むようになった。
それは私が帯広畜産大学の5年生の頃だったと思う。
特に今でも心に残っているフレーズは
「競馬が人生の比喩ではなく、人生が競馬の比喩なのだ。」
あるいは、引用のフレーズで
「政治を軽蔑する人は、軽蔑する政治しか持つことができない(トーマスマン)。」
今思い出せるものの中で
この二つの言葉は特に印象に残っている。
何か大人の世界に誘ってくれるような強い力を、寺山修司の言葉から感じたのだった。
そんな寺山修司は、私の青春時代に大きな影響を与えてくれた1人だった。
五十嵐秀彦さんが寺山修司論を書いていることは、知っていたが
ついに、それを読むことが叶って
今、大変嬉しく読ませていただいている。
秀彦さんの「寺山修司俳句論」を読んでいるうちに
おぼろげに思い出すことがあった。
そういえば・・・
寺山修司の俳句全集・・・
だいぶ昔に書店で買って、ロクに読まずに置いていたはずだ・・・
そんな記憶がよみがえり、自分の部屋の本棚の奥を探ってみたら
あった・・・!
「寺山修司俳句全集」(あんず堂)
この本は、秀彦さんの論文末の参考文献の筆頭に挙げられていた。
論文では、寺山修司の俳句を
寺山が俳句に没頭していた高校時代から20才頃までに詠まれたらしい句・・・A群
と、それ以降の寺山が俳句から離れたとされている頃に詠まれたであろう句・・・B群
という2種類の群に分類して、その比較検討をしている。
その比較検討を通じて、寺山修司の膨大な芸術活動を
俳句という切り口から再検討している。
従来の寺山の俳句の評価は
膨大な寺山文学の中の「前史」という見方で済まされていたが
それはA群の俳句(青春俳句)に対するもので
寺山の俳句全体に対してその評価は「片手落ち」である、と秀彦さんは言っている。
そのことをB群の俳句を検討することで明らかにし
寺山の俳句が、寺山文学の中で「前史」というよりも
生涯にわたって、大変重要な意味を持ち続けていたことを浮き彫りにさせている。
詳しい内容は、論文のPDFをプリントアウトしてぜひ読んでいただきたいが
寺山の俳句は、決して「異端」ではなく、「前衛」でもなく、
むしろ俳句の「本流」とさえ言うことが出来る、と秀彦さんは結んでいる。
とても読み応えのある論文で、ひと通り読んだだけではまだまだ理解が不十分だが
私がかつて買った「寺山修司俳句全集」(あんず堂)を片手に
ページをめくりながら、秀彦さんの論文を読み返してゆくと
とても面白く、時間を忘れてハマり込んでしまう。
ハマり込みながら
私は、いつもの「癖」が出た。
寺山修司の俳句の中から
牛や馬を詠んだ句を拾ってみたのだ・・・(笑)
一塊の肉となる牛家族の冬 修司
秋つばめ海見し牛のながし目に 同
牛の腹草に触れゆく秋の星 同
馬の尻と男の唄がすすき過ぐ 同
演習区春泥に馬の力みしあと 同
朝焼坂つましく売られゆく馬か 同
これらの句を拾って読んでみても
なるほど
寺山修司の俳句は
単なる「前史」でも、「異端」や「前衛」でもないことがわかる。
秀彦さんの論文によって
私は、自分なりに
寺山修司の俳句を再検討することができた。
やっぱり俳句って、面白いなぁ・・・
左の写真の道具を使う
「牛のニコイチ捻転去勢法」
の動画をYouTubeにアップしています。
ここを→クリックして
ご覧いただけます。
目が釘付けになった。
秀彦さんの「寺山修司論」が、現代俳句協会のHPから読めるようになったのだ。
早速、PDFファイルを印刷して読ませていただいた。
じつは、私は学生時代、寺山修司にハマったことがあった。
とある書店でたまたま寺山修司の文庫本シリーズを手にとって、
ページを開いたときに飛び込んできたフレーズに、
なぜかとても心を打たれるものがあって、
それから数年間、寺山の著作を意識して読むようになった。
それは私が帯広畜産大学の5年生の頃だったと思う。
特に今でも心に残っているフレーズは
「競馬が人生の比喩ではなく、人生が競馬の比喩なのだ。」
あるいは、引用のフレーズで
「政治を軽蔑する人は、軽蔑する政治しか持つことができない(トーマスマン)。」
今思い出せるものの中で
この二つの言葉は特に印象に残っている。
何か大人の世界に誘ってくれるような強い力を、寺山修司の言葉から感じたのだった。
そんな寺山修司は、私の青春時代に大きな影響を与えてくれた1人だった。
五十嵐秀彦さんが寺山修司論を書いていることは、知っていたが
ついに、それを読むことが叶って
今、大変嬉しく読ませていただいている。
秀彦さんの「寺山修司俳句論」を読んでいるうちに
おぼろげに思い出すことがあった。
そういえば・・・
寺山修司の俳句全集・・・
だいぶ昔に書店で買って、ロクに読まずに置いていたはずだ・・・
そんな記憶がよみがえり、自分の部屋の本棚の奥を探ってみたら
あった・・・!
「寺山修司俳句全集」(あんず堂)
この本は、秀彦さんの論文末の参考文献の筆頭に挙げられていた。
論文では、寺山修司の俳句を
寺山が俳句に没頭していた高校時代から20才頃までに詠まれたらしい句・・・A群
と、それ以降の寺山が俳句から離れたとされている頃に詠まれたであろう句・・・B群
という2種類の群に分類して、その比較検討をしている。
その比較検討を通じて、寺山修司の膨大な芸術活動を
俳句という切り口から再検討している。
従来の寺山の俳句の評価は
膨大な寺山文学の中の「前史」という見方で済まされていたが
それはA群の俳句(青春俳句)に対するもので
寺山の俳句全体に対してその評価は「片手落ち」である、と秀彦さんは言っている。
そのことをB群の俳句を検討することで明らかにし
寺山の俳句が、寺山文学の中で「前史」というよりも
生涯にわたって、大変重要な意味を持ち続けていたことを浮き彫りにさせている。
詳しい内容は、論文のPDFをプリントアウトしてぜひ読んでいただきたいが
寺山の俳句は、決して「異端」ではなく、「前衛」でもなく、
むしろ俳句の「本流」とさえ言うことが出来る、と秀彦さんは結んでいる。
とても読み応えのある論文で、ひと通り読んだだけではまだまだ理解が不十分だが
私がかつて買った「寺山修司俳句全集」(あんず堂)を片手に
ページをめくりながら、秀彦さんの論文を読み返してゆくと
とても面白く、時間を忘れてハマり込んでしまう。
ハマり込みながら
私は、いつもの「癖」が出た。
寺山修司の俳句の中から
牛や馬を詠んだ句を拾ってみたのだ・・・(笑)
一塊の肉となる牛家族の冬 修司
秋つばめ海見し牛のながし目に 同
牛の腹草に触れゆく秋の星 同
馬の尻と男の唄がすすき過ぐ 同
演習区春泥に馬の力みしあと 同
朝焼坂つましく売られゆく馬か 同
これらの句を拾って読んでみても
なるほど
寺山修司の俳句は
単なる「前史」でも、「異端」や「前衛」でもないことがわかる。
秀彦さんの論文によって
私は、自分なりに
寺山修司の俳句を再検討することができた。
やっぱり俳句って、面白いなぁ・・・
左の写真の道具を使う
「牛のニコイチ捻転去勢法」
の動画をYouTubeにアップしています。
ここを→クリックして
ご覧いただけます。
寺山が俳句やってたとは知りませんでした。定型詩を彼が取り組んでいたとは、少々驚きです。
倉本聰が彼に舞台の詩を依頼した時のエピソードです。少年が銃を持ってきて山羊を殺すというのです。倉本は少年がなぜ銃を持っていたのか、銃の保管は父がしていたのか、とか尋ねることになって、寺山はそんな事どうでもいい、少年が山羊を殺すことが私の設定だというのです。
現実的な男とシュールな世界にいる寺山の行き違いと思って聞いてました。彼は天才で発想から生み出すものと思ってました。俳句は意外でした。