東日本大震災の発生した年から数えて、

今年は6度目の3月11日を迎えた。

今年もまた様々な、

震災関係の催しが、

各地で開かれている。

そして、

震災直後に発生した、

福島第一原発の爆発事故は、

色々な問題を抱えたまま、

現在に至っている。 

先日、

私のブログにコメントを寄せてくれたこともある、

メイさんという、 

福島県南相馬市にお住いの方から、

IMG_1165一冊の本をいただいた。

タイトルは「被災牛と歩んだ700日」。

内容は

第一原発の爆発事故により

避難を余儀なくされた畜産農家の手記と

畜産関係者の方々の手記である。

酪農家や養豚家の方々が

自宅から避難するということは

飼っているいる家畜たちの世話ができなくなるということである。

畜産農家が飼っている家畜の世話を放棄しなければならないということが

IMG_1171一体どういうことなのかを

この本は教えてくれる。

それはもう、涙無しでは読むことのできない

とても悲しく衝撃的なことなのだが

畜産農家さんと関係機関の方々の

一人一人の手記を読んでいると

そこには一筋縄ではゆかない

色々な考え方や立場の違いも見えてくる。

悲しさや哀れさなどの感情的なことは

言うまでもないことなので

IMG_1170あえてそれは書かず

それ以外の事実で

私がここに書いておくべきだと思ったことを書く。

その一つ目は

牛や豚を置き去りにして避難するとき

飼い主さんたちの多くが

本当は囲いから

あるいは繋がれた状態から 

解放させてやりたかったのに

それをせずに避難したことである。

なぜ放さなかったのか

それは、もしそれをすれば

放たれた「放れ牛」や「放れ豚」によって

周囲に迷惑がかかるから、と

飼い主さんたちは考えたのである。

そうして結局、牛や豚の多くが餓死をしていった。

二つ目は

そうして置き去りにされた牛や豚たちの一部が

何者かによって放されたという事実。

動物保護団体などの外部の人々の手で

飼い主に断りもなく勝手に放された。

三つ目は

そうやって放たれた牛や豚を見て

畜産農家の人たちは

複雑な気持ちの中で

少しホッとした気持ちにもなったと言うこと。

四つ目は

しかし、そうして放たれた牛や豚たちは

やはり、予想通り町中を徘徊し

民家を荒らしまわるようになり

結局、「放れ牛」や「放れ豚」も

行政の指示で、全て捕獲され

殺処分をされることになったこと。

五つ目は

捕獲された牛のうちの一部は

研究機関の牧場に預けられ

獣医学の研究に提供されることになったが

その研究も資金面で継続困難になっているということ。

そのような事実が

この本には書かれている。

畜産農家が

そして畜産関係者と地域社会が

原発事故から受ける被害というものは

いかに恐ろしく

複雑な問題を抱えながら

当事者の飼主さん達と

それを取り巻く人々の

様々な考え方の渦巻く中で

結局は

救いようのない

悲惨な結果に終わることを

この本は伝えている。

表紙を1ページめくると

被災した畜産農家の方が詠んだ短歌が一首記されている。

IMG_1166 原発の
 二十キロ圏内
 避難する
 乳牛総べて
 置き去りにして

        渡部愛子


さらに1ページめくると

 一枚の写真が載っている。

IMG_1167繋がれて

置き去りにされ

餓死した牛が

空腹のために

かじっていた

牛舎の柱の写真である。


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左の写真の道具を使う


「牛のニコイチ捻転去勢法」

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