牛の死体が毎月何頭も出て、

それに慣れてしまう、

大規模酪農場。

IMG_3577そこで働く人の

「牛に感謝」

をする気持ちは乏しくなってしまう。

そんな大規模な酪農を、

世界にさきがけて始めたのは、

欧米諸国、

特にアメリカの酪農である。

結論を先に言おう

アメリカ人は

「牛に感謝」

をしない人たちなのだ。

何千頭規模の巨大な酪農場では

おそらく

牛の死体が毎週運び出されては

処理されているはずである。

そこで働く人たちの

心は痛まないのだろうか。

「牛に感謝」

の気持ちがある人であれば

心が痛むはずである。

しかし

彼らの心は痛んではいないように見える。

だからこそ

巨大な規模の酪農を考案し

牛の死体がたくさん運び出されるような

大規模酪農を平然と実践している。

そこで働く従業員もさることながら

そのような大規模な酪農場の

責任者(経営主)には少なくとも

「牛に感謝」

をしない人であろう。

「牛に感謝」をしていないので

牛に申し訳ないことをしている

とは思っていないのであろう。

欧米諸国の人たちは

「牛」に申し訳ない

とは思わず

「神」に申し訳ない

と思っているのである。

日頃から

「牛に感謝」をするのではなく

「神に感謝」をしている人たちである。

欧米の自然観の根底にあるキリスト教では

人間以外の動植物には

魂(霊)が存在しない。

魂(霊)が存在しない「牛」という動物に向かって

申し訳ないと謝罪する意味がないのである。

「牛」という魂のない動物を創って

人間の日々の食糧として提供してくれる

「神」に対して感謝するのが

欧米人の考え方である。

欧米諸国で行われる謝肉祭は

「神に感謝」する儀式であり

「牛に感謝」する儀式ではない。

全ての心の痛みは

神の前で懺悔することによってのみ解消される。

牛の前で懺悔をすることはない。

したがって

牛の魂(霊)を慰める牛魂の碑などは

欧米には存在しない。

すべては

神の前で懺悔するだけでよい。

実に合理的な考え方だ。

そしてそれは

実に都合の良い考え方だ。

人が牛を殺してしまう罪は

目の前の牛には謝罪せず

教会の神の前で懺悔をすれば

それで許されるのである。

そんな都合の良い考え方がまかり通るほど

この世は甘くない

と、「牛」そのものに感謝をしている私は思う。

欧米人の心は

特にアメリカの大規模酪農家の心は

牛が死んで死体が運ばれてゆくとき

きっと

「オー・マイ・カウ(牛)!」

ではなく

「オー・マイ・ガー(神)!」

と叫んでいるのだろう

・・・

IMG_3578牛たちが本当にかわいそうで

牛たちに気の毒な

まことにゆゆしい

酪農の大規模化である。

・・・

我が国で

酪農の大規模化を推進する方々に

このシリーズ記事を捧げたいと思う。


(この記事おわり)



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