これを書いている今から、
約48時間前の未明、
我が家の携帯電話が一斉に、
緊急地震速報を鳴らしたたと思いきや、
たちまち強い揺れが襲って来た。
十勝は幸いに震度4程度の揺れで済んだが、
それからトイレに行こうと電気のスイッチを入れたら、
停電になっていた。
夜が明けてもまだ停電が続いた。
出勤してもまだ停電。
停電のまま往診に回ると
発電機を持っている酪農家は
発電機を回しながら仕事をやりくりしていた。
集乳車の運転手のK崎さんの話だと
発電機のない酪農家の集荷は後回しにしているとのことだった。
往診から帰って来てもまだ停電が続き
この日に予定されていた午後からの牛の手術は
機械が動かないのですべて延期となった。
我々獣医師が書くカルテは電子カルテという物で
今日の診療内容を打ち込むためには電源が要る。
この日のカルテは診療車のシガーソケットからの電源をつかって書く事になった。
昼間の仕事をなんとかほぼ普通に終えて帰宅。
その日の夜は久しぶりの
電気の点かない夜だった。
かつて釧路沖地震(1993年)の時
あれは真冬の1月15日の夜だったと思う。
地震の後に停電が起こり
じわじわ寒くなって来たので
家族で防寒着の厚着をして不安な夜を迎えたことを憶えている。
幸いその時の停電は数時間で復旧した。
あれからもう四半世紀経った
なんていう事を思い出しながら
ローソクとランタンの灯りで
携帯ラジオの情報を聴きつつ
夜を過ごした。
帯広のアパートから食材を持ってきた次女が
夜空の星の綺麗さに感動していたが
私にとってはいつも夜間の往診でながめる夜空と
それほど変わるものではなかった。
夜が明けて7日になっても
まだ停電は続いていた。
我が家は水道とガスは無事だったので
朝の日の光の中で朝食を作り
次女は出勤して行った。
私はこの日は午前中に歯医者の予約と
午後からは能楽同好会の稽古の予定があり
休日をもらっていた。
しかしどちらも中止になると思い
妻から手渡された買い物リストを持って
帯広の街へ買い出しに出かけた。
帯広の街の碁盤目の道は
信号機が点いている交差点と消えている交差点が
まだらに混ざり合っていて
緊張の連続で非常に疲れる運転を強いられた。
大手スーパーマーケットでは
野外テントを張って特設販売をしていた。
1人1点づつという制限付きで
パンや即席麺や水のペットボトルなどに
長い行列ができていた。
その時、携帯電話が鳴った。
予約をしていた歯科からだった。
てっきり診療が出来ないものと思っていたら
診療可能なのだという。
我が家とその歯科医院は
300メートルほどの距離だったが
歯科のほうは国道沿いにあるので
停電はすでに復旧していたのだ。
買い物を済ませて
歯医者の治療を終えた。
午後からの能楽の稽古はさすがに中止。
そこで、日の当たりの良い部屋で
ゆっくりと読書をする事にした。
夕方になっても
まだ我が家の停電は続いた。
携帯電話のバッテリーの蓄電が
妻のも私のも無くなってきたので
役場が開設している充電サービス会場へ行き
充電をしながらまた読書。
充電を終えて家に帰ると
我が家に電気が点っていた。
明るい部屋の中で
仕事を終えて帰って来た次女が
晩飯を食べていた。
約40時間ぶりに
電気のある生活が
戻ってきた。
左の写真の道具を使う
「牛のニコイチ捻転去勢法」
の動画をYouTubeにアップしています。
ここを→クリックして
見ることが出来ます。
約48時間前の未明、
我が家の携帯電話が一斉に、
緊急地震速報を鳴らしたたと思いきや、
たちまち強い揺れが襲って来た。
十勝は幸いに震度4程度の揺れで済んだが、
それからトイレに行こうと電気のスイッチを入れたら、
停電になっていた。
夜が明けてもまだ停電が続いた。
出勤してもまだ停電。
停電のまま往診に回ると
発電機を持っている酪農家は
発電機を回しながら仕事をやりくりしていた。
集乳車の運転手のK崎さんの話だと
発電機のない酪農家の集荷は後回しにしているとのことだった。
往診から帰って来てもまだ停電が続き
この日に予定されていた午後からの牛の手術は
機械が動かないのですべて延期となった。
我々獣医師が書くカルテは電子カルテという物で
今日の診療内容を打ち込むためには電源が要る。
この日のカルテは診療車のシガーソケットからの電源をつかって書く事になった。
昼間の仕事をなんとかほぼ普通に終えて帰宅。
その日の夜は久しぶりの
電気の点かない夜だった。
かつて釧路沖地震(1993年)の時
あれは真冬の1月15日の夜だったと思う。
地震の後に停電が起こり
じわじわ寒くなって来たので
家族で防寒着の厚着をして不安な夜を迎えたことを憶えている。
幸いその時の停電は数時間で復旧した。
あれからもう四半世紀経った
なんていう事を思い出しながら
ローソクとランタンの灯りで
携帯ラジオの情報を聴きつつ
夜を過ごした。
帯広のアパートから食材を持ってきた次女が
夜空の星の綺麗さに感動していたが
私にとってはいつも夜間の往診でながめる夜空と
それほど変わるものではなかった。
夜が明けて7日になっても
まだ停電は続いていた。
我が家は水道とガスは無事だったので
朝の日の光の中で朝食を作り
次女は出勤して行った。
私はこの日は午前中に歯医者の予約と
午後からは能楽同好会の稽古の予定があり
休日をもらっていた。
しかしどちらも中止になると思い
妻から手渡された買い物リストを持って
帯広の街へ買い出しに出かけた。
帯広の街の碁盤目の道は
信号機が点いている交差点と消えている交差点が
まだらに混ざり合っていて
緊張の連続で非常に疲れる運転を強いられた。
大手スーパーマーケットでは
野外テントを張って特設販売をしていた。
1人1点づつという制限付きで
パンや即席麺や水のペットボトルなどに
長い行列ができていた。
その時、携帯電話が鳴った。
予約をしていた歯科からだった。
てっきり診療が出来ないものと思っていたら
診療可能なのだという。
我が家とその歯科医院は
300メートルほどの距離だったが
歯科のほうは国道沿いにあるので
停電はすでに復旧していたのだ。
買い物を済ませて
歯医者の治療を終えた。
午後からの能楽の稽古はさすがに中止。
そこで、日の当たりの良い部屋で
ゆっくりと読書をする事にした。
夕方になっても
まだ我が家の停電は続いた。
携帯電話のバッテリーの蓄電が
妻のも私のも無くなってきたので
役場が開設している充電サービス会場へ行き
充電をしながらまた読書。
充電を終えて家に帰ると
我が家に電気が点っていた。
明るい部屋の中で
仕事を終えて帰って来た次女が
晩飯を食べていた。
約40時間ぶりに
電気のある生活が
戻ってきた。
左の写真の道具を使う
「牛のニコイチ捻転去勢法」
の動画をYouTubeにアップしています。
ここを→クリックして
見ることが出来ます。
大阪は、和泉岸和田、今朝の時点で、未だ停電、のエリアもあるようです!
やっぱり台風で引きちぎられたり、電柱倒れたり、ダメージが大きかったのでしょうね。
5日目ですが、マンションの人は停電だと水も出ないので大変だ、と言っています。
すぐ隣エリアはもう平常なのですが。
馬術部の大木が根こそぎ倒れて、そのめくれあがった根の直径が、人の背より高く2メートル半くらいあって、部員が並んで記念写真を撮ったそうです…木が馬場側に倒れてくれてヨカッタ(ーー;
酪農家さんのほうは、停電回復は大丈夫でしょうか。