北の(来たの?)獣医師

北海道十勝地方で牛馬を相手に働く獣医師の最近考えていることを、 散文、韻文、漢詩 でつづったものです。

東と西

海外進出(!?)

昨日の往診。

蹄病の牛を何頭か枠場に入れて診ているとき、Ёさんが言った

「この牛はねぇ、たぶん右の後ろがTPPになってんじゃないかって思うんだよなー・・・」

「・・・?」

「TPPだよ、ほれあの、あれ?・・・違うか、何だった・・・?」

「PDDでしょ(笑)」

「そーよ、PDD。・・・なんだって、まぎらわしーな(笑)」

     *    *    *

事務所に戻って

和室で数人で弁当を食べていると

テレビの国会中継が入った。

「野田さん、一日伸ばしたけど、結局参加したいんでしょこの人・・・」

「だろーね。」

「これからどーなるんですかね。」

「関税撤廃でしょ・・・」

「食料だけでないからな。」

「共済組合もさ、いよいよ海外進出するしか無いんでないの?」

「・・・(笑)」

「十勝NOSAIカリフォルニア支所。」

「英語勉強しなくちゃ・・・」

「俺は英語できないから、転勤しなくていい、若いやつに任す(笑)。」

「せめて、日本人が食う分の食糧くらいは保険に入れてくれ!ってね。」

「保険業務の海外進出、いいかもよ。」

「5000頭のメガファームの引き受けとか、どうするんですか。」

「あっちの牛って、耳標付いてないんでしょ。」

「健康検査とか、伝染病の検査とか、どーするんだろう?」

「景気によって牛の増減がすごいって言うし・・・」

「わけわかんないよ。」

「きっと安愚楽どころの話じゃないですよね。」

「方法考えないとなー・・・」

「今度、事業推進会議で聞いてみたら?」

「・・・(笑)」

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トモダチ作戦(2)

J国 「此の度の震災に於いての、被災地及び被災者の救助およびその後の復興に対し甚大なる御援助、誠に感謝尽くし難く候。」

U国 「ドウメイコクトシテ、トウゼンノコトヲシテイルマデデス。」

J 「今後共、引き続き貴国の偉大なる御力をお貸し頂きたく願い奉り候。」

U 「モチロンデスヨ、イエスウイキャン。トコロデ・・・」

J  「処で?」

U 「ソチラノノウサンブツヤギョカイナドノショクリョウハ、ズイブントホウシャセンヲアビテシマッタヨウデスナ。」

J 「左様。如何にも腹立たしく悲しき出来事に相成り候。」

U 「ココハヒトツ、ホウシャセンヲアビテイナイワガクニノショクリョウヲ、ヤスクカッテイタダイテ、ゼヒミナサンニタベテイタダキタイ。」

J 「御気持ちは有難いが、其の件に附いては、何かと支障が御座る。」

U 「ソノシショウヲ、コノサイダカラ、トッパラッテシマエバヨイノデス。」

J 「うーむ・・・。」

A国 「オタクノデンリョク。ズイブンオチコンデシマウヨウデスナ。」

J 「清浄と言い続けた原子力発電が破綻の危機に直面して居り候。」

A  「トリアエズ、カリョクハツデンデガンバルシカナイデショウネ。」

J 「如何にも。」

A 「ワガクニノセキタンヲオツカイナサイ。ヤスクワケテアゲマショウ。」

J 「有難き幸に候。」

A 「タダシ・・・」

J 「但し?」

A 「セキタントセットデギュウニクモツイテイルンデスケド。オージービーフ、ヤスクテオイシイデスヨ。」

J 「其れは些か支障の在る話に候。」

A 「ソンナシショウハ、コノサイ、オクニノタメニトッパラッテシマエバヨイノデス。」

J 「うーむ・・・。」

   *    *    *

U国さんも、A国さんも

本当に友達と思っていただいてるのなら

その国の農業を潰すような真似はしない、ですよね・・・

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トモダチ作戦

被災地で、被災者の救助に当たっている米軍は

同盟国の軍隊として、とても頼もしいし

どれほど感謝すればよいのかわからない程、ありがたい

と、私は心から思っている。

そう思うのであるが

一方で

その米兵達に対して語ったオバマ大統領の演説。

それを日本語に訳したものがネット上に出ているが

読んでみると

何度も読んでみても

よく理解できない言葉に引っかかってしまうのである。

演説全体を通して

非常に違和感があるのを

禁じえないのである。

以下その演説の抜粋であるが

赤い字の所は、特によくわからないのである。

     *   *   *


救助に向かう米兵に向かって語りかけるオバマ大統領の演説

おはよう、諸君。
後一時間足らずで、諸君ら140名は、極東に向かって旅立ち、史上最強の敵と交戦する。
時を同じくして、世界各地の米兵たちも、他の35隻の原子力空母で、同様の救助に向かう行う手はずだ。

諸君がまもなく赴く戦いは、人類史上最強の救出活動となるだろう。そう、人類史上最強の・・・・
人類・・・・・この言葉は、今日、我々全員にとって、新たな意味を持つ。地球に対する今回の暴虐行為に少しでも意味があるのなら、それは我々人類が共有するものの大きさに気づかせてくれた、という点につきるだろう。


今回の侵略は、この惑星で共に生きるのがどういうことかを、新たなる視点から見直させてくれた。
人間同士の無数の差異など瑣末事でしかないことを痛感させ、共通の利益というものの意味を実感させてくれた。


そしてさらに、歴史の方向を変え、人間であることがどういうことかをも定義し直してくれた。
今日このときより、世界の諸民族と諸国家がいかに深く相互に依存しあっているかを、我々は決して忘れることがないだろう。

諸君は日本を愛し、この日本を守り抜くために自らの才能と技術を差し出し、命すら投げ出す覚悟を固めている。

諸君と共に戦列に立てることを、私は心から誇りに思う。

3月11日は日本の祝日だけではなく、地球上のあらゆる国家が肩を組み、こう叫ぶ日となるだろう。

”我々は決して従容と死を受け入れたりしない!我々は生き続ける!生き続けてみせる!”と。

その日こそ、我々は真の独立記念日を祝うのだ!

アメリカ軍作戦名「Operation Tomodachi」

     *   *   *


今回の震災での「史上最強の敵」とは、何だろうか?

「地球に対する暴虐行為」の、主体は何だろうか?

「今回の侵略」とは、何がどこへ侵略したのだろうか?

「人間であること」をどう定義しなおしたのだろうか?

3月11日は、「祝日」なのだろうか?

「真の独立記念日」とは、何月何日なのだろうか?


演説の名手といわれるオバマ大統領の演説だが

生では聞いていないので、その迫力はわからない。

誤訳もたぶんあるだろう。

だが

それにしても

わからぬ箇所が多すぎる。

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湯呑みとカップ(4)

我々日本人の食卓に湯呑みとカップが混在しているという事実は

食文化が欧米化をしていること、と同時に

自分達の食文化も捨てずにしっかりと残っていることをも、示していると思われる。

食文化以外のものについても、同じような状態が見受けられる事も

前回の記事で少し述べたが

では

日本の畜産界ではどうなのだろう。

たとえば、酪農業界はどうだろう。

産業としての酪農はもともとが、江戸時代末期に欧米からやってきたものだから

そのほとんどが欧米的な発想、すなわち『カップ意識』(前記事参照)を内に秘めた生産形態である。

しかし、それから百数十年を経た今

酪農にも我々日本古来の発想、すなわち『湯呑み意識』(前記事参照)を内蔵した形態を持つ方法が見直されつつあるのではないかと思う。

具体的に言うと、たとえば

「放牧」と「フリーストール」を比較してみると

1) 形態

  において、「放牧」は「フリーストール」よりも、シンプル・・・ 

2) 機能

  において、「放牧」は「フリーストール」よりも、多機能・・・

3) 使用(飼養・搾乳)方法

  において、「放牧」は「フリーストール」よりも、熟練を要する・・・

どうでしょうか・・・?!

「湯呑み」と「カップ」との比較要点を、ただ単純に

かなり強引に当てはめてみただけから

異論反論が吹き出てきそうだけれど・・・

ただ、これからの酪農は

規模拡大をしていればよい、という時代ではないだろう。

家族酪農から企業酪農にすればよい、という時代でもなかろうと思う。

これからの自分の経営形態を、どうしてゆくかは

それぞれの酪農家の頭の中に描く将来像にかかっている。

日本全国の酪農家の皆さん!

あなたは、湯呑みで緑茶を飲むほうが好きですか?

それとも、カップでコーヒーを飲むほうが好きですか?

新しく牛舎を建てるときは

自分の性格や好みをよく解ってからやってくださいね。

「・・・はアァ?」

「何言ってんの?」

「はんかくさいこと聞くなっ!」

なんて

言われそうだねー。

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湯呑みとカップ(3)

1) 形態

において、湯呑みはカップより単純であり

2) 機能

において、湯呑みはカップより多機能であり

3) 使用方法

において、湯呑みは カップより熟練を要する

ということを、前回に述べた。

逆に、カップの側からみれば

1) 形態

において、カップには湯呑みよりも、目的達成のための工夫がなされており

2) 機能

において、カップは湯呑みよりも、一点に集中させた機能をもち

3) 使用方法

において、カップは湯呑みよりも、誰でも簡単に使える利便性をもつ

と言えるだろう。

湯呑みを箸に、カップをフォークに、それぞれ置き換えても

同様のことが言えるだろう。

そして

カップやフォークという道具を産み出したのは、西洋の食文化であり

湯呑みや箸という道具を産み出したのは、東洋の食文化である。

というのも、異論は無いと思う。

ここからは、私の推論だが・・・

ヒトが生きて行くために必ずしなければならない、飲食という行為をするにあたって

西洋人は、自分の周り(自分の外側)のものを変化させて、その目的を達成しようという意識があり

その結果として、目的達成のためにふさわしい、工夫された形の食器を作り上げた。


カップやフォークを見ていると
DVC00259

自分自身は変わらずに、周りを変化させて、目的を達成しようとする意識が宿っているような気がするのである。

この意識を、仮に『カップ意識』、と呼んでみたい。

ヘンな言葉だけど、他に思いつかないので・・・(笑)

これに対し

東洋人は、自分自身(自分の内面)を変化させることによって、その目的を達成しようという意識があり

その結果として、食器の形は必要最小限の単純な形の食器を使いこなすようになった。

湯呑みや箸を見ていると
DVC00258

自分自身が変わって、周りに合わせてゆくことで、目的を達成しようとする意識が宿っているような気がするのである。

この意識を、仮に『湯呑み意識』、と呼んでみたい。

これも、ヘンな言葉だけどね・・・(笑)

さて、そうすると

日本人の家庭には

どんな家庭にも湯呑みや箸が、ある。

またカップやフォークも、ある。

どちらも使いこなせるのだ。

でも、日常的には、湯呑みと箸を主に使う国民である。

日本人は『湯呑み意識』を強く持つ国民だから。

しかし

欧米人の家庭には

カップやフォークは必ずあるだろうが

湯呑みや箸のある家庭は、非常に限られているだろう。

そしてもちろん、日常的にはカップやフォークばかりを使っている。

欧米人は『カップ意識』の強い人々だから。

これが

いわゆる、日本の『欧米化』、の正体ではなかろうか。

逆に

欧米人の『東洋化』、のほうはなかなか見つけることができない。

彼らの頭の中には、自分自身は変わろうとしない意識があるから

当然、そうなってしまうのだろう。 

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湯呑みとカップ(2)

DVC00258湯呑みとカップの違い。

どこがどう違っているのかという所を、もう少し考えてみると

以下の3点が、浮かび上がってくるのではないかと思う。

すなわち

1)  形態の単純さ。

  その形が、カップよりも湯呑みのほうが、よりシンプルである。

2)  機能の多様性。

  その機能は、カップはほとんど熱い飲み物を口に運ぶ、という機能に徹しているのに比べ
 
  湯呑みには、それを持つ手を温める触覚的機能や

  緑茶を飲む人に対して、湯呑みの由来やデザインなどで楽しませる等という付加機能が

  カップよりずっと多く付きまとっている。

  湯呑みには、きっと茶道の影響があるに違いない。

3)  使いこなすための習練。
 
  幼児に飲み物を飲ませてみれば解ると思うが、幼児が温かい飲み物を飲む時は、カップを使う。

  マグカップなどを使って、ミルクを飲んだり、流動食を飲んだりする。

 DVC00259 幼児が、いきなり湯呑みを持って、お茶を飲んだりはしないだろう。

カップを使って呑む行為よりも

湯呑みで物を呑む行為のほうが

習練が必要なのは明らかだ。

湯呑みを使いこなすには、習練が必要なのである。

「湯呑みでお茶を呑む」という行為は

「カップでコーヒーやミルクを飲む」という行為に比べると

ずっと大人(オトナ)の行為なのではないだろうか。

さらに

このことは

湯呑みに限らず

箸とフォークの比較でも、同様だ。

1) 形態は、誰が見ても、箸のほうがシンプルである。

2)  食べ物を刺して運ぶのがメインのフォークに比べて、箸は挟む、刺す、切るなど

  その機能は、誰が見ても、箸のほうが多様である。

3)  フォークの使い方よりも、箸の使い方のほうが、習練を要することは

  誰の目にも明らかである。 

さらに

食器に限らず、この違いは

いろいろなものに見られるのではなかろうか。

遊具や玩具

たとえば、正月用の凧や羽子板なども

洋凧やバドミントンに比べると、この傾向にあるだろう。

また

文芸の詩歌などにもこの傾向が見られるのではなかろうか。

たとえば

手前味噌になるが、俳句を例に取れば

1)  形態のシンプルさは、世界一。

2)  機能としては、文壇内に止まらず、庶民生活のあらゆるシーンで登場しやすい多機能文芸である。

3)  俳句を詠むのは、単純なるがゆえに約束事も多く、散文を書き散らすよりも、習練が必要である。

まぁ、つまり

俳句は、散文よりも

大人の文芸なんだろうなぁ・・・(笑)

(ちょっと強引かな・・・?!)

ともあれ

「湯呑みで緑茶を呑む」 という行為は

「カップでコーヒーやミルクを飲む」 という行為よりも

大人(オトナ)の行為なのではないか

という私の論旨を

解っていただきたかったわけです・・・

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湯呑みとカップ

DVC00235私と妻が家で使っている湯呑みの数々

欠けているものもあり

プライベートを曝すようでちょっと照れくさいが

どれにも愛着がある。

湯呑みを使うのは、ほとんどが緑茶を呑む時である。

緑茶を呑むための容器なのに

茶呑みとは言わず、なぜか、湯呑みと呼ぶ。

DVC00234次なる写真は

私と妻が家で使っているカップの数々

これまたそれぞれ

どれにも愛着がある。

これを使うのは、コーヒー、紅茶、ミルク、などを飲む時である。

緑茶をこれに入れてのむことは、まず、ない。

さて、先日

湯呑みで緑茶を呑んでいて

ふと、ある事に気が付いた。

それは、緑茶を湯呑で呑んでいると

手のひらにじわーっと、茶の温もりが伝わってくる、という事だった。

湯呑で緑茶を呑むという行為は、緑茶を口に含む事だけではなく

手でその温もりを感じる、という作用があることに気付いたのだった。

これに対して

コーヒーや紅茶やミルクなどを、湯呑みで呑むことは、まず、ない。

コーヒーカップやティーカップを用いて、それらを飲むわけだけれども

その時、その温もりを手のひらに感じながら飲む、という事が

カップで飲む飲み物には、ないのである。

カップで飲む、という行為は

飲み手の手には、その温もりは伝わってこないから

単純に、中に入っている飲み物を口に含むためだけの行為と言えるだろう。

だから、何なのよ?

と言われるかもしれないが

私は

コーヒー、紅茶、ミルク、などを

カップで飲む事に比べて

緑茶を湯呑みで呑む

と言う行為の中に

とりわけ、奥深さのある事を

感ぜずにはいられないのである。


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