「ぼくは、年2回の芥川賞作品は楽しみに読んできた。今まで印象に残っているのは・・・、・・・。・・・『みちのく』の諸君、俳句も文芸のうちだから、芥川賞・直木賞ぐらいは眼を通して欲しい。」
とおっしゃるのは、我が俳句雑誌『みちのく』の主宰、原田青児先生。
同人誌の末席を汚している私としてはとても耳の痛いお言葉で、今まで両賞の受賞作など全く読んでいない。
それに受賞作をわざわざ取り寄せてお金を払って買うのは、マスコミに煽られた割高な商品を買わされるような気もして・・・で結局読まずじまい。
しかし、今回の芥川賞受賞作の「乳と卵」は、そのタイトルに惹かれた。
そこで、我が俳句の師、原田青児先生のお言葉に従ってみることにした。
仕事柄、「乳」や「卵」とは毎日向き合い、毎日触っている物でもあるし・・・
もちろんヒトのそれではありませんがね(笑)
Amazonの中古本が出ていたので、割安で取り寄せて読んでみた。
主人公の私は東京住まいの独身女性。その姉の巻子(39歳)とその娘緑子(りょくこ・10歳位)が、大阪から3日間の予定でやってきた。
巻子は東京で豊胸手術を受けるのだという。
巻子は私と女湯へいって汗を流しながら、周りの女性達や自分の胸を見るなどして、豊胸手術のウンチクを語る。
化粧する事と豊胸手術を受ける事を比べた議論なども間に出てくる。
巻子は出産してすぐ離婚したので、娘の緑子は父親を知らない。そんなことで母を憎み、一切口を利かず、ノートで筆談をしている。
母親と同じように生理がきて、女性へと変わってゆく緑子は、母親のようにはなりたくないと思っている。不安がいっぱいで大人になることを苦しがり、その苦悩などをひたすらノートに書き付けている。
2日目の夜、緑子は酔って帰って来た巻子に対して、「お母さん、ほんまのこというてよ、胸をおっきくして、なにがいいの、お母さんはなにがしたいの」と、体を震わせて、ついに口を開く。(このへんがクライマックス)
これに対して巻子は「ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで。」と答える。
翌日、しゃべるようになった緑子と、手術はまだしていない巻子は、仲良く大阪へ帰る。
二人を見送って帰宅した私は、生理が始まっていて、前日からシーツを汚したりナプキンを取り替えたりする描写が淡々と書かれ、最後のシーンはシャワーを浴びる自分の体を鏡でしげしげと見る。
「・・・真中には、胸があった。巻子のものとそれほど変わらぬちょっとしたふくらみがそこにあって、先には茶色く粒だった乳首があって、泣き笑いのようだった、低い腰は鈍くまるく、臍のまわりにはそれを囲むように肉が付いて・・・どこから来てどこに行くのかわからぬこれは、わたしをいれたままわたしに見られて、切り取られた鏡の中で、ぼんやりといつまでも浮かんでいるようだった。」
これで結んでいる。
登場人物はこの3人だけだ。
以下、感想
すらすらとした語るような、読ませる展開と文体なので
違和感も無く読んでしまったが、後から思うと
男の私には、未知な部分が多く、内容はなかなかエグイです。
女性の生理の「色気の無い部分」を公開された感じというのかな。
とにかくまったくと言っていいほど色っぽくない内容。
この女性達の会話には、巷の女性が普段表向きに見せている「男に対する性的意識(セックスアピール)」のようなものが全く感じられない。
そこが作者のねらいなのかもしれない。
主人公の姉の巻子はそんな内容の象徴である「豊胸手術」に向けてただマニアックに熱中する事にしか「生きがい」を感じることができない女性のようだ。
今、こういう女性ってけっこう多いのかもしれない。
だからむしろとても切実で、生物としての女性の「めんどくささ」がしっかりと描かれているように思った。
考えてみると、私の妻と二人の娘も、毎月訪れる生理に対してこういう作業を淡々と繰り返し、風呂場の鏡に我が身を映したりして、生活しているわけだ。
女性の舞台裏?を淡々と公開するような小説。
男性読者にとってはこの小説は、女性をより深く理解する?!相互理解の一助になるのかもしれないですね・・・
でもなぁ、医者や化粧品会社の社員ならともかく、こんな事まで知らなくてもいいよ・・・(笑)。
あともう一つ。
ヒトの女性の生理的な部分ていうものは、冷静沈着に描けば描くほど、牛や馬の雌の生理的な営みと大差が無いんじゃないかな、ということも感じましたね。
作品中の言葉を借りればそれは
「生きてゆく更新が音も無く繰り返される。」
ということか。










文学から何かを学び取りたいとも思わなくなって久しいです(笑)。
なんかのミステリー賞を取った「チームバチスタの栄光」は面白かったです。医療ものとしても楽しめました。チョッと軽かったけど。