たとえば、『直線』はこの世に存在するのだろうか。
直線は、大きさや太さを持たない概念だ。
目の前の紙に直線を定規で正確に描いたとしても、それを顕微鏡で見れば、インクの染みた曲がった繊維であろう。
たとえば、『1+1=2』は本当なのだろうか。
これも現実というよりは、数学の概念だ。
現実は、1グラムのブドウ糖を正確に1グラム測ったとしても、1.0001グラムだったり、0.999グラムだったりしているのが本当のところだろう。
『直線』や『1+1=2』というのは、われわれの脳の中には有るが、その外には存在していないのだ。
* * *
「獣医師は科学者であるべきだ。」と、よく言われる。
科学的な態度をもって仕事すべきだ、ということだろう。
科学的な態度をとることは、必要で重要なことだと思う。
しかし・・・
科学は、上記のごとく、われわれの脳の中の投射であり、どうしても現実とは馴染みきれない代物でもある。
それを忘れてしまってはならないのだ。
獣医学(科学)を勉強していても、なかなか目の前の病畜を治すことができないことも、われわれは良く知っている。
その原因はなにか。
臨床現場て、目の前の病んだ牛や馬が治せないのは、「獣医学すなわち科学の進歩が足らず、まだ発展途上であるからだ。」という考え方がある。
獣医学(科学)がもっと進歩すれば、治らぬ病気が治るようになるのだろうか。
獣医学(科学)は、私の周りで十分進歩している。
だから、私はこの考え方に、素直に賛成することができない。
その考え方には、科学オンリーあるいは科学最優先の態度がある、と思うからだ。
私は、臨床の現場では、科学は最優先されるべきではない、と思っている。
科学以外のもの
たとえば、感情、愛、精神、気合、思いやりの心・・・
臨床の現場では、そういうものが足りないから、牛や馬の病気が治らないし減らない、と私は考えている。
科学よりも、科学以外のものが優先された方が、健全な世界であろうと思う。
そして、そのほうが牛や馬の病気は治せるのではないかと思っている。
養老氏の「唯脳論」を読むと、繰り返し繰り返し、科学はヒトの脳の中の投射に過ぎない、ということを教えられる。
そしてまた、科学以外の感情、愛、精神、思いやりの心、といったものもまた同様に
われわれの脳の投射である。
どれを優先させるべきかは、それぞれ勝手だし
養老氏も、その優先順位などには全く言及していない。
が、私は
臨床の現場で、科学を最優先する態度には、はなはだ疑問を感じ
それ以外のものを優先したほうが、健全ではないのかと思うのだ。
そんなことを、「唯脳論」によってあらためて感じたのだ。
この項、もうちょっと続きます(笑)
直線は、大きさや太さを持たない概念だ。
目の前の紙に直線を定規で正確に描いたとしても、それを顕微鏡で見れば、インクの染みた曲がった繊維であろう。
たとえば、『1+1=2』は本当なのだろうか。
これも現実というよりは、数学の概念だ。
現実は、1グラムのブドウ糖を正確に1グラム測ったとしても、1.0001グラムだったり、0.999グラムだったりしているのが本当のところだろう。
『直線』や『1+1=2』というのは、われわれの脳の中には有るが、その外には存在していないのだ。
* * *
「獣医師は科学者であるべきだ。」と、よく言われる。
科学的な態度をもって仕事すべきだ、ということだろう。
科学的な態度をとることは、必要で重要なことだと思う。
しかし・・・
科学は、上記のごとく、われわれの脳の中の投射であり、どうしても現実とは馴染みきれない代物でもある。
それを忘れてしまってはならないのだ。
獣医学(科学)を勉強していても、なかなか目の前の病畜を治すことができないことも、われわれは良く知っている。
その原因はなにか。
臨床現場て、目の前の病んだ牛や馬が治せないのは、「獣医学すなわち科学の進歩が足らず、まだ発展途上であるからだ。」という考え方がある。
獣医学(科学)がもっと進歩すれば、治らぬ病気が治るようになるのだろうか。
獣医学(科学)は、私の周りで十分進歩している。
だから、私はこの考え方に、素直に賛成することができない。
その考え方には、科学オンリーあるいは科学最優先の態度がある、と思うからだ。
私は、臨床の現場では、科学は最優先されるべきではない、と思っている。
科学以外のもの
たとえば、感情、愛、精神、気合、思いやりの心・・・
臨床の現場では、そういうものが足りないから、牛や馬の病気が治らないし減らない、と私は考えている。
科学よりも、科学以外のものが優先された方が、健全な世界であろうと思う。
そして、そのほうが牛や馬の病気は治せるのではないかと思っている。
養老氏の「唯脳論」を読むと、繰り返し繰り返し、科学はヒトの脳の中の投射に過ぎない、ということを教えられる。
そしてまた、科学以外の感情、愛、精神、思いやりの心、といったものもまた同様に
われわれの脳の投射である。
どれを優先させるべきかは、それぞれ勝手だし
養老氏も、その優先順位などには全く言及していない。
が、私は
臨床の現場で、科学を最優先する態度には、はなはだ疑問を感じ
それ以外のものを優先したほうが、健全ではないのかと思うのだ。
そんなことを、「唯脳論」によってあらためて感じたのだ。
この項、もうちょっと続きます(笑)










それほど感銘を受けるような作品ではなかったが、人々を驚かせたのは題にあった。
「これはパイプではない。絵具である」というものであった。
この画家は、宙に浮いた巨大な岩や森の中を馬で歩く人が木と入れ替わっている絵などで広く知られるようになった。
誰もが彼の絵を見ると知っている。
彼は現実と我々が感性として通常受け取っていることを、疑問を呈しながら絵を描いたのである。
ところで化学は万能ではない。このテーゼを否定する人がいる。
科学が究明されていないだけだと反論するのである。
しかし、科学は現実を究明し理由づけるだけのことである。
理由づけは新たな原因(非究明要因)となるだけではないか。
私は、子宮脱の原因は「脱出子宮である」と説明することにしている。
脱出子宮の原因は、低カルや不用意な体制などであるかもしれない。
しかし、子宮脱の原因としては真っ当な解答なのである。