「獣医師は科学者であれ」と、よく言われる。
そして、その言葉を我々獣医師はおおむね肯定的に捉えている。
しかし、獣医学という科学が、しばしば現実離れを引き起こし
臨床現場ではまるで役に立たないことがあるのも、我々は良く知っている。
唯脳論を読んで、その理由がよくわかったのは、前回書いた通りである。
獣医学という科学は、基本的に、『直線』のような幾何学を駆使し、『1+1=2』のような代数理論に基づく学問であり
そういう『直線』や『1+1=2』は、現実ではなく、それを考えるヒトの脳の中にしかない。
すなわち、科学的知見や理論は、この世の絶対的な真理などではなく
自分の脳の所産に過ぎないのだ。
だから現場とズレが生じる。
科学の信望者は、「非科学的なこと」を嫌う傾向がある。
「非科学的なこと」とは何か。
これも前回述べたように、ヒトの感情、愛、気合、思いやりの心、・・・などといったものだろう。
そしてこれらも同様に、我々の脳の所産に過ぎない。
同じ脳の所産であるが
現場で役に立つのは、「科学」か、それとも「非科学」か?
私は、後者に軍配を上げたいのである。
* * *
例を挙げると
たとえば、牛の難産。
科学的なデーターを蓄積することはよいことだが、難産の牛を目の前にして、データーを調べることを優先してはいけない。
できるだけ早く駆けつけて治療に当たるためには、その牧場を良く知り、そこに飼われている牛への愛、夜中でも出動できる気合、といった「非科学」的なものが役に立つ。
たとえば、子牛の下痢。
目の前の倒れた子牛の前で、科学的知見を述べることはあまり意味がない。
瀕死の子牛の治療には、助けるぞ、という強い気持ちが大事である。すなわち子牛への愛、飼主への思いやり、が何より優先されるだろう。獣医師にもこういう「非科学」的態度がなければ、子牛の治療はうまく行かない。
たとえば、乳房炎。
乳房炎についての科学は日々進歩を遂げているのに、いまだにこの病気が減らないのは、科学的な進歩が、なかなか現場の役に立っていないことを示している。
乳房炎多発の牧場では、科学的なデーターを理解してもらうこと、それ自体が難しい。
乳房炎を出してはいけないのだ、という意識改革をどうするか。牛の衛生面のデーターを説くのも必要だが、その前に、実際に搾乳する人々への思いやり、食品を生産しているのだという意識と、消費者等への気配りがなければ、事はうまく進まないだろう。これは「非科学」的な部分である。
* * *
1月5日から8日まで
十勝地方は大荒れだった。
うちの診療所は、防風林の風上に位置している(笑)
そのせいで、非常にたくさんの雪が吹き溜まる。
どうして、こんなところに診療所を建てたのだろう・・・
と、この時期はいつも思う。
そして、その言葉を我々獣医師はおおむね肯定的に捉えている。
しかし、獣医学という科学が、しばしば現実離れを引き起こし
臨床現場ではまるで役に立たないことがあるのも、我々は良く知っている。
唯脳論を読んで、その理由がよくわかったのは、前回書いた通りである。
獣医学という科学は、基本的に、『直線』のような幾何学を駆使し、『1+1=2』のような代数理論に基づく学問であり
そういう『直線』や『1+1=2』は、現実ではなく、それを考えるヒトの脳の中にしかない。
すなわち、科学的知見や理論は、この世の絶対的な真理などではなく
自分の脳の所産に過ぎないのだ。
だから現場とズレが生じる。
科学の信望者は、「非科学的なこと」を嫌う傾向がある。
「非科学的なこと」とは何か。
これも前回述べたように、ヒトの感情、愛、気合、思いやりの心、・・・などといったものだろう。
そしてこれらも同様に、我々の脳の所産に過ぎない。
同じ脳の所産であるが
現場で役に立つのは、「科学」か、それとも「非科学」か?
私は、後者に軍配を上げたいのである。
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たとえば、牛の難産。
科学的なデーターを蓄積することはよいことだが、難産の牛を目の前にして、データーを調べることを優先してはいけない。
できるだけ早く駆けつけて治療に当たるためには、その牧場を良く知り、そこに飼われている牛への愛、夜中でも出動できる気合、といった「非科学」的なものが役に立つ。
目の前の倒れた子牛の前で、科学的知見を述べることはあまり意味がない。
瀕死の子牛の治療には、助けるぞ、という強い気持ちが大事である。すなわち子牛への愛、飼主への思いやり、が何より優先されるだろう。獣医師にもこういう「非科学」的態度がなければ、子牛の治療はうまく行かない。
乳房炎についての科学は日々進歩を遂げているのに、いまだにこの病気が減らないのは、科学的な進歩が、なかなか現場の役に立っていないことを示している。
乳房炎多発の牧場では、科学的なデーターを理解してもらうこと、それ自体が難しい。
乳房炎を出してはいけないのだ、という意識改革をどうするか。牛の衛生面のデーターを説くのも必要だが、その前に、実際に搾乳する人々への思いやり、食品を生産しているのだという意識と、消費者等への気配りがなければ、事はうまく進まないだろう。これは「非科学」的な部分である。
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十勝地方は大荒れだった。
うちの診療所は、防風林の風上に位置している(笑)
そのせいで、非常にたくさんの雪が吹き溜まる。
と、この時期はいつも思う。










科学とは愛さえ脳の現象として分析しようとする姿勢ではないでしょうか。その可能性を否定しては科学と呼べないと思います。