抽象的な事を話していると、退屈になってくるので
西洋人の家畜に対する考え方の、具体例を挙げてみたい。
酪農情報誌「Dairy Japan」の2009年12月号のトピックスに
よいタイミングで、こんな記事があった。
その全文を書き出してみよう。
* * *
牛は「名前」で呼んだほうが乳量は多い---イギリスの雑誌から
多くの科学者によって、「人間と動物の関係(HAR)」において、人間側の要素が乳牛の生産性や行動に影響を与えていることが証明されているが、英国で発行されている人と動物の関係の研究誌「Anthrozoos」Vol.22,Number1,2009年3月号に、516戸の酪農場でHARを調べたところ、90%以上が、「牛は感情を持っている」と回答し、78%が「知性を持っている」と回答したという報告が載っている。また、牛を1頭ごとに識別することが大切だと考えている農場は、より多い産乳量(200kg以上)が得られるという傾向が見られた。さらに牛を「名前」で呼んでいる農場では、そうでない農場と比べて乳量が258kg多かったという。
この研究をリードしたDouglas博士は、「牛を名前で呼べば、コストをかけずに乳量を上げることができる」としている。
* * *
私はこの記事を読んでいる途中で、なんだか可笑しくなって吹き出してしまった。
そして
「強い論理思考と、神秘主義との奇妙な結合、それが西洋人の悪癖である。私はそう思う。」
という、養老氏の言葉を思い出して、また笑ってしまった。
『悪癖』かどうかは、私にはわからない。
でも、確かにこの記事を読んで、私は二つの違和感を持った。
その一つは、前半の部分
「牛には感情があるか?」、あるいは「牛は知性を持っているか?」、という質問を、酪農家に対して大真面目に問うている研究チームの可笑しさ。
もう一つは、後半の部分
「牛を名前で呼べば、コストをかけずに乳量を上げることができる」と大真面目に考察しているDouglas(ダグラス)博士の可笑しさ。
西洋人の強い論理思考も、ここまで来ると、滑稽に見えてくるのは私だけだろうか。
東洋人(日本人)の私から言わせれば
「そんなこと、あたりまえじゃないか!」
で、ある。
こういうテーマは、べつに科学的な論理で証明など、する必要があるのだろうか?と、私は思うのである。
こんなところにまで科学的手法を大真面目に使う感覚が、私にはとても奇妙に映る。
これは科学で扱う問題ではなく、非科学的思考であっさり解決できる問題ではないのか。
愛情や思いやりの問題ではないか、と私は思うのだ。
実際、私の通う酪農家で
「乳量を上げるために、牛を名前で呼ぶことにしたよ。」
なんていう酪農家など、1人もいないと思う。
牛を名前で呼んでいる酪農家は、牛をそれだけ愛しているから。
そういうことでしょう?
イギリス人のダグラス先生・・・使う道具がちょっと違うんじゃぁないでしょうか?
料理をするのに包丁ではなく、カッターナイフを使っているような
あるいは、和食を食べるのにフォークとナイフを使っているような
そんな違和感を、私は禁じえないのである。
唯脳論シリーズ後半のテーマは
西洋人の脳は家畜をどう見ているのか・・・なのであるが
牛には感情がないと思っている酪農家が1割
牛には知性がないと思っている酪農家が2割以上
そんな記事にも、ちょっと驚く。
底にはやはり、キリスト教と神道・仏教との違い、があるようだ。
東洋人とはかなり違う、その一端を垣間見たような気がする
そんな、記事である。
西洋人の家畜に対する考え方の、具体例を挙げてみたい。
酪農情報誌「Dairy Japan」の2009年12月号のトピックスに
よいタイミングで、こんな記事があった。
その全文を書き出してみよう。
* * *
牛は「名前」で呼んだほうが乳量は多い---イギリスの雑誌から
多くの科学者によって、「人間と動物の関係(HAR)」において、人間側の要素が乳牛の生産性や行動に影響を与えていることが証明されているが、英国で発行されている人と動物の関係の研究誌「Anthrozoos」Vol.22,Number1,2009年3月号に、516戸の酪農場でHARを調べたところ、90%以上が、「牛は感情を持っている」と回答し、78%が「知性を持っている」と回答したという報告が載っている。また、牛を1頭ごとに識別することが大切だと考えている農場は、より多い産乳量(200kg以上)が得られるという傾向が見られた。さらに牛を「名前」で呼んでいる農場では、そうでない農場と比べて乳量が258kg多かったという。
この研究をリードしたDouglas博士は、「牛を名前で呼べば、コストをかけずに乳量を上げることができる」としている。
* * *
私はこの記事を読んでいる途中で、なんだか可笑しくなって吹き出してしまった。
そして
「強い論理思考と、神秘主義との奇妙な結合、それが西洋人の悪癖である。私はそう思う。」
という、養老氏の言葉を思い出して、また笑ってしまった。
『悪癖』かどうかは、私にはわからない。
でも、確かにこの記事を読んで、私は二つの違和感を持った。
その一つは、前半の部分
「牛には感情があるか?」、あるいは「牛は知性を持っているか?」、という質問を、酪農家に対して大真面目に問うている研究チームの可笑しさ。
もう一つは、後半の部分
「牛を名前で呼べば、コストをかけずに乳量を上げることができる」と大真面目に考察しているDouglas(ダグラス)博士の可笑しさ。
西洋人の強い論理思考も、ここまで来ると、滑稽に見えてくるのは私だけだろうか。
東洋人(日本人)の私から言わせれば
「そんなこと、あたりまえじゃないか!」
で、ある。
こういうテーマは、べつに科学的な論理で証明など、する必要があるのだろうか?と、私は思うのである。
こんなところにまで科学的手法を大真面目に使う感覚が、私にはとても奇妙に映る。
これは科学で扱う問題ではなく、非科学的思考であっさり解決できる問題ではないのか。
愛情や思いやりの問題ではないか、と私は思うのだ。
実際、私の通う酪農家で
「乳量を上げるために、牛を名前で呼ぶことにしたよ。」
なんていう酪農家など、1人もいないと思う。
牛を名前で呼んでいる酪農家は、牛をそれだけ愛しているから。
そういうことでしょう?
イギリス人のダグラス先生・・・使う道具がちょっと違うんじゃぁないでしょうか?
料理をするのに包丁ではなく、カッターナイフを使っているような
あるいは、和食を食べるのにフォークとナイフを使っているような
そんな違和感を、私は禁じえないのである。
唯脳論シリーズ後半のテーマは
西洋人の脳は家畜をどう見ているのか・・・なのであるが
牛には感情がないと思っている酪農家が1割
牛には知性がないと思っている酪農家が2割以上
そんな記事にも、ちょっと驚く。
底にはやはり、キリスト教と神道・仏教との違い、があるようだ。
東洋人とはかなり違う、その一端を垣間見たような気がする
そんな、記事である。










関東放牧チャレンジャー クルミルクです
包丁ではなくカッターナイフはおかしかったです。
ぼくもあの記事猛烈な違和感とこみ上げる笑い禁じ得ませんでした。
先生の記事を読んで、改めて思考の違いを強く感じました。
カウセンスを始め彼らに学ぶことも多いけれど
家畜の福祉を声高に語らなければならない感覚の裏には
人間が1番なんだという、ぼくらに言わせれば
思いあがった感情が根底にはあるのではないのかなと
家畜の福祉をはじめとした一連の動きは
むしるアジアが先行、牽引するべきなのかなとも思いました。