「西洋人の脳は、東洋人の脳よりも、強い論理志向がある。」
と、いうことを否定する人は、ほとんど居ないだろうと思う。
その証拠の一つに、西洋生まれのキリスト教は
東洋生まれの仏教や、日本生まれの神道よりも、強い論理性を持っている。
西洋人の脳は、物事をとことん論理的に考え、議論をする。
それが自然科学を産んだ。
しかし、自然科学ではすべてを説明することはできないことも知っており
自分の脳内に神秘的なものの存在を認めざるを得ず
それが、キリスト教の神の御霊(みたま)の存在である。
御霊は神が、ヒトだけに与えたものだ、と彼らの脳は考えている。
したがって、家畜の中には御霊はなく、そのすべては科学や論理で説明できる存在である、と考えている。
東洋人の脳はそれに比べると、徹底的に物事を論理的に考えないし、西洋人より議論も下手だ。
見たり聞いたり触ったりした感じそのままに、それを捉え、そこに厳密な論理を持ち込まない。
仏や神道の神は、神出鬼没、八百万の神が、ただ複数存在するのみ。
仏教の経典にある
「至極の大乗思議すべからず、見聞触知みな菩提に近づく」
というのは、世は不可思議、あれこれ思考して議論すべきではなく、見て聞いて触って知ればそれでよい、という教えだ。
東洋人の脳から見た家畜とは、見たとおり、普通に感情があり、我々とそれほど大差のない生き物のように見えているだろう。
私も東洋人だから、そう見えるし、そう考えている。
西洋人と東洋人の、家畜に対する認識の違いは、この辺にあるのではないだろうか。
* * *
2月8日は「針供養」の日だ。
針供養を翻訳ソフトで英語にしたら
Memorial services for needles
と出た。
西洋人に、これで意味が通じるのだろうか?(笑)
「針供養」は歳時記では、春の季語になっている。
動物や家畜ばかりではなく
我々日本人は、無機質の針にも霊が宿るとして
その供養をしてきた。
毎年、1年間に折れたり曲がったりした針を持って、「淡島神社」に参詣し
それらを納め、祀る。
豆腐やコンニャク等の柔らかなものに刺し
感謝をこめて、労をねぎらい、祀るのだ。
と同時に、縫いものの上達を願う、のだという。
何と奥ゆかしい行事だろう。
我々獣医師は、針がないと仕事にならない。
獣医師が使い古した針は、感染性廃棄物として
そのまま業者に引き取られて、処分される。
和裁学校や洋裁学校では
毎年、針供養を行うところが多いという。
臨床獣医師の間で、針供養を行うところは・・・
・・・あってもいいんじゃないだろうか。
針を毎日毎日酷使している臨床獣医師の皆さん、どう思われますか?
私は結構まじめに、針供養をしてもいいかなって思うんですけどね(笑)
針供養をして、針を大切にする心を養う、というのはいかがですか。
賛同していただける方、いませんかね。
牛を縫う太き針にも針供養 豆作
と、いうことを否定する人は、ほとんど居ないだろうと思う。
その証拠の一つに、西洋生まれのキリスト教は
東洋生まれの仏教や、日本生まれの神道よりも、強い論理性を持っている。
西洋人の脳は、物事をとことん論理的に考え、議論をする。
それが自然科学を産んだ。
しかし、自然科学ではすべてを説明することはできないことも知っており
自分の脳内に神秘的なものの存在を認めざるを得ず
それが、キリスト教の神の御霊(みたま)の存在である。
御霊は神が、ヒトだけに与えたものだ、と彼らの脳は考えている。
したがって、家畜の中には御霊はなく、そのすべては科学や論理で説明できる存在である、と考えている。
東洋人の脳はそれに比べると、徹底的に物事を論理的に考えないし、西洋人より議論も下手だ。
見たり聞いたり触ったりした感じそのままに、それを捉え、そこに厳密な論理を持ち込まない。
仏や神道の神は、神出鬼没、八百万の神が、ただ複数存在するのみ。
仏教の経典にある
「至極の大乗思議すべからず、見聞触知みな菩提に近づく」
というのは、世は不可思議、あれこれ思考して議論すべきではなく、見て聞いて触って知ればそれでよい、という教えだ。
東洋人の脳から見た家畜とは、見たとおり、普通に感情があり、我々とそれほど大差のない生き物のように見えているだろう。
私も東洋人だから、そう見えるし、そう考えている。
西洋人と東洋人の、家畜に対する認識の違いは、この辺にあるのではないだろうか。
* * *
針供養を翻訳ソフトで英語にしたら
Memorial services for needles
と出た。
「針供養」は歳時記では、春の季語になっている。
動物や家畜ばかりではなく
その供養をしてきた。
毎年、1年間に折れたり曲がったりした針を持って、「淡島神社」に参詣し
豆腐やコンニャク等の柔らかなものに刺し
感謝をこめて、労をねぎらい、祀るのだ。
と同時に、縫いものの上達を願う、のだという。
何と奥ゆかしい行事だろう。
獣医師が使い古した針は、感染性廃棄物として
そのまま業者に引き取られて、処分される。
和裁学校や洋裁学校では
毎年、針供養を行うところが多いという。
臨床獣医師の間で、針供養を行うところは・・・
・・・あってもいいんじゃないだろうか。
針を毎日毎日酷使している臨床獣医師の皆さん、どう思われますか?
私は結構まじめに、針供養をしてもいいかなって思うんですけどね(笑)
針供養をして、針を大切にする心を養う、というのはいかがですか。
賛同していただける方、いませんかね。
牛を縫う太き針にも針供養 豆作










縫合が上手になるようにお祈りするのでしょうか?
ぼくら酪農家はなるべく針のお世話にならないようにしなければと
祈るばかりです。