ヒトが脳で考えている以上、ヒトの思考の産物はすべて脳の中の出来事である。

科学も、宗教も、その意味で、まったく対等なもので

どちらかが真理であり、片方が真理ではない、ということはないだろうし

どちらもヒトの外側の真理などではなく、脳の中の出来事である。

科学は宗教の一つに過ぎない、という考え方さえある。

唯脳論には、はっきりとは書かれていないが、そういう考えを匂わせる記述がしばしば登場する。

そういわれてみると

様々な学術団体は宗教団体と共通点が多い。

教祖様のような大先生が仕切っているような学術団体もあるようだし

なんとか学会という宗教があるのも、うなずける。

ともあれ

ヒトの脳内事象の一つとしての科学は

その明快な論理性によって、市場原理主義との相性がよい。

また、その性質上、科学も市場原理もグローバリズムである。

しかし

科学技術と市場原理が手を組んで、突っ走ると、恐ろしいことになる。

格差社会や、人権侵害、戦争、などがおさまらないのを見れば明らかだ。

すなわち、倫理の欠如である。

宗教は、倫理の一つの実現であり、非科学的なものである。

私はなにもこのブログで、世界平和を叫ぶつもりではない。

ただ、私の周りで日々起こっている出来事

すなわち畜産現場にも

この構図があると思うのだ。

牛や馬の病気の原因を考えてゆくと

科学的な観察と分析、理論で追って行っても

すぐに、それだけでは解決できない問題に突き当たる。

格差社会や、人権問題、経済戦争、がそこにはある。

これは「論」理的思考の不足ではなく

「倫」理的思考の不足、欠如であろう。

牛や馬の病気を治したり、予防したりするためには

畜産現場に、もっと倫理が必要ではないだろうか。

畜産現場の科学や市場原理は、いまやグローバルな波となっている。

ところが、倫理のほうはといえば

ある地域では、キリスト教がベースであり、別の地域では、仏教や神道が拠り所になっていたり、と

倫理というのは、ローカルなものなのである。

科学者たらんとする獣医師は

科学のグローバリズムと

倫理のローカリズムに

どう折り合いを付けてゆくべきか

しっかりと考える必要があるだろう。