著郎三恒井白 『史学医獣本日』・・・すなわち・・・
白井恒三郎先生著 『日本獣医学史』 復刻版 によれば
8代将軍徳川吉宗は、馬の輸入、改良、馬術や馬医療の進歩、発展を大いに推し進めた将軍だった。
享保10年(1725)〜元文2年(1737)の間に、オランダ人から西洋の馬を28頭輸入した。
それにつれて当然、西洋馬術や馬医療も我が国に入ってきた。
特に、オランダ人の馬乗りケイスルは幕府の御用で江戸へ赴き、今村英生(上記写真本中の絵)という通詞(通訳)が付き添った。
今村英生は単なる通訳ではなく、たいへん博識のある蘭学者だったといわれ、上著書にも
「蘭医今村英生は洋風獣医としての開山である・・・」、と書かれている。
そんな、吉宗時代の影響もあってか、その後の宝暦年間には様々な馬医書が出版されている。
前回の記事の、私が先輩獣医師のVさんに見せてもらった本は、そのうちの一冊だと思われる。
白井恒三郎先生の『日本獣医学史』は700ページ以上の分厚い本なのだが
Vさんの本がきっかけで、ついつい読みふけってしまった。
また、前回のhig先生のコメントにあった「解馬新書」は
吉宗の死後約100年経った嘉永5年(1852)に、東水菊池宗太夫藤原武樹という人(長い名前だね・・・(笑))が著した。
この藤原武樹は一橋家の馬医すなわち、当時の臨床家だった。
その臨床家が蘭学を学び、その中でヒトの「解体新書」に出会い
きっと、馬でも生理解剖の手引きが必要だ、と痛感したのではないかと思う。
当時の臨床獣医師のレベルがどの程度だったかは判らないが
文盲率も高かったであろう時代に
死馬を穢多非人と呼ばれる人たちと共に解剖しながら
「解馬新書」を編む作業は、並大抵なことではなかっただろうと思う。
『日本獣医学史』にも、彼のことを
「洋方獣医術を実践した第一人者であることは疑いのないところで、画期的人材と云うことができる。」
と、評している。










馬に限らず、輸入がはじまり、「疫病で多くの馬が死んだ。」というのは、ちょうどその後のことのようですね。人では腸チフスとか、コレラなどのようですね。
輸入された馬などによって、在来種は大型化したのですよね。(ちょっと知ったかぶりです)