北の(来たの?)獣医師

北海道十勝地方で牛馬を相手に働く獣医師の最近考えていることを、 散文、韻文、漢詩 でつづったものです。

読書ノート

『牛の歳時記』

当ブログにたびたび登場していただいている上川郡の酪農家、鈴木牛後さんは

DVC00924放牧酪農を実践しながら俳句を詠む、私と同世代の俳人である。

左の写真は、牛後さんの句集「根雪と記す」。

ところで、インターネット上に

「週刊俳句 Haiku Weekly」

というウェブマガジンがあるのをご存知だろうか。

俳句にまつわるいろいろな記事を、毎週掲載しているホームページなのだが

その中の連載シリーズの1つに

鈴木牛後さんが、『牛の歳時記』という記事を書いている。

昨年の暮れから連載が始まって

今月の記事で、11回を数えている。

牛にまつわる俳句は数多くあるけれど

実際に自分で牛を飼っている人の詠む句は、やはり違う。

牛に対する視線や思いが深いのはもちろんだが

生やさしい感傷だけではない現実の厳しさがにじむような句もある。

さらに、牛後さんの個性がそこに加わって、独特な世界を醸し出している。

それは、俳句だけではなく

今回紹介する文章にも、十分に表れているのではないかと思う。

とても面白い連載なので

全ての回を、ここにリンクしてみた。

酪農家をはじめ獣医師や、その他畜産関係者はもちろんのこと

学生さんや、畜産からは遠い生活をしている都会の方々にも

ぜひ、じっくりと読んで味わっていただきたい文章である。

牛の歳時記 第1回 牧閉す

牛の歳時記 第2回 北窓塞ぐ

牛の歳時記 第3回 煤払

牛の歳時記 第4回 元日

牛の歳時記 第5回 凍つ

牛の歳時記 第6回 春眠

牛の歳時記 第7回 春寒

牛の歳時記 第8回 春光

牛の歳時記 第9回 牧開き

牛の歳時記 第10回 牛冷す

牛の歳時記 第11回 干草

じつは

最新の連載、第11回の干草の冒頭に

私の俳句も一句載せて頂いており、たいへん光栄に思っている♪

ともあれ

この連載が今後もずっと続くように

多くの人に読んでもらって

いろいろ感想などをページにコメントしたり

牛後さんへ送ってみるのも良いのではないか
、と思う。

フェイスブックなどで知る限りでは

牛後さんは現在、牧草の収穫で超多忙のようだが

どうか体に気をつけて、お仕事も俳句も

そして『牛の歳時記』の連載も

頑張ってほしいと思う。

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祝・鈴木牛後さんの句集が出た!

豆作さま

「大人のための句集を作ろうコンテスト」において最優秀賞を頂き
賞品として句集を作って貰いましたので
一部送らせて頂きます。ご笑読下さい。
 
                               鈴木 牛後

DVC00924そんな添書きとともに

句集 「根雪と記す」 鈴木牛後 

が送られてきた。

俳句のメッカ、松山を拠点に全国的な活動を展開する

あの俳句甲子園でも有名な、夏井いつき組の雑誌

「100年俳句計画」の特別付録として、この句集が発刊されたのだという。

牛後さんはこのもブログに何度か登場している、北海道上川郡の俳人・酪農家である。

このたび、第一回「大人のための句集を作ろう!コンテスト」において

牛後さんが最優秀賞に輝き、全国的な応募数60作品(各81句づつ)の中の頂点を射止めたのである。

その賞品として、この句集が作られたのだという。

これはもう、半年前の牛後さんの角川俳句賞最終選考残留に次ぐ連続大ヒットと言えるだろう。

牛後さんの俳壇進出の、勢いが止まらない♪

大変喜ばしく、また羨ましい限りである。

夏井いつきさんの選後の評は以下の通り

「牛を飼うという生活のリアリティーに圧倒される。命と共に暮らす現場にある音、匂い手触り、息遣いが読み手の五感を刺激する。牛だけではなく、犬、鹿、蝶、猫、兎、鼠、山羊、かたつむり、地虫など生きるものへの眼差しも深く、一句一句が博物誌のように楽しくもある。労働、風土、作者の人生がどっしりと臭うように迫ってくる実力派の作品として高い評価が集まった。」

句集の81句を鑑賞してみると、まさにその通りだと言えるのだった。

さっそく、私の心に残った句を拾い出してみると・・・

 寒明の飛び散る乳のほの甘き

 かげろふに濡れて仔牛の生まれ来る
 
 蘖(ひこばえ)の突つついてゐる牛魂碑

 牛啼いて誰も応へぬ大夏野

 牛死して高く掲げる夏の月

 秋澄みて牛に涙のやうなもの

 満月や牛の数だけある怖れ

 牛の眼の空を湛へて牧閉す

 蹴られたる凹みアルミ戸凍てにけり
 
 牛舎の窓開けて四温を招き入る
 
生意気な事を言わせてもらえば、この辺の句は

私の詠む俳句とテイストがほとんど似通っていて

同じ畜産の現場で俳句を詠む者として、強い共感を覚えたものの

さほど驚きはしなかった。

しかし

次に挙げるような句を見ると、それはもう感服せざるを得ない・・・

たとえば

 我が牧は四十町歩揚雲雀

の『我が牧』。

また

 まだ誰も踏んでゐない俺の夏草

の『俺の夏草』。

また

 冬来れば冬のかほなる牛を飼ふ

あるいは、タイトル名となった

 根雪と記し農作業日誌閉づ

などの句は、『一人称』で酪農を詠んでいる。

すなわち自分で牛を飼い、自営していなければ放てないフレーズの句で

私のような関係団体のサラリーマンには絶対真似の出来ない強さがある。 

また

 歯車の濡れて動かぬ雪解かな

 抱くやうにハンドル廻す濃紫陽花

 零したる軽油たちまち虹捕ふ

などの句は、農業機械を動かす人ならではの句材の力を感じる。

また

 野に出でて空気を吸ふといふ遊び

 牛糞を吸うて汚れぬ夏の蝶

 懐に地虫かくまふ捨案山子

 甲冑魚のごとくに雪の底にゐる
 
 牛の息ふしゆうふしゆうと白く伸ぶ

などには、牛後さんの独特の詩情・感性を感じ

これまた私などには遠くおよばぬ個性・才能が光っていると思う。

こうやって鑑賞していると

やはり、賞を取るべき人が、正しく評価されて受賞したのだな、という思いがしてくるのである。

同じ畜産の現場で仕事をしながら俳句を詠む者として

とても嬉しく、また強い刺激を受けた牛後さんの受賞であった。

同時に

私自身の作句姿勢や俳句で目指す方向を、見つめ直す良いきっかけにもなった。

牛後さん、おめでとうございます!!

これからもよりいっそう、俳句の世界を深め

それを世の中へ発信し続けて欲しい。

鈴木牛後さんに、新ためて

最大級の拍手と賛辞と

そして、感謝の意を表したいと思う。
 
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溝手孝司さん

札幌を拠点に活動しているフリーランスライターの溝手孝司さんはマルチな人である。

もうかれこれ15年ほど前に、帯広のFMウイングというラジオ放送のパーソナリティーだった。

その時、私は彼のスポーツ解説番組が大好きで、熱心なリスナーだった。

特に好きだったのは、「ウマスポ」というコーナーでの競馬の予想だった(笑)。

週末のレースの予想を書いては、せっせと番組にファックスを送っていた。

その予想は、的中するかどうかは二の次で

いかに楽しく、オモシロおかしく、もっともらしい予想をするか、というのが大事なのだった。

そんなことが縁で、いつしか溝手孝司さんと一緒に札幌競馬を観戦する機会を得て

合計3回、夏の札幌で札幌記念の観戦を楽しんだのだった。

その溝手さんが先日、久しぶりに帯広へやってきて、一杯やりましょう、という話になった。

集まったメンバー6人は、ほとんどが彼の番組のかつてのリスナーだった。

DVC00649右手前が溝手氏。

左奥が私。

溝手氏の右隣は私の同僚のS貫君。

その向こうが電子音楽研究所の和田君。

私の右隣にお菓子屋勤務の明石君とカメラマンの唯君。

みんな私より年下である。

全てが溝手繋がりという不思議なメンバーで、語られるのはコアなスポーツ話題を中心に

溝手氏の得意ジャンルの、お笑い、演劇、小説、音楽、などと多義に渡った。

その多くで私はほとんど聞き役だったが(笑)、いつもとは全く違った世界の話しに参加できたのは

私にとってとても刺激的で、有意義な時間だった。

その膨大な内容をここに書くのは不可能だが

その代わりに、溝手氏の著書を少し紹介しておこうと思う。

ジャンルにこだわらないユニークな活動の一端が、このラインナップでわかるのではないかと思う。

私のブログを読んでいただいている人に興味があるかどうか、それは全く不明だけど(笑)

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徳川時代の馬医書(4)

著郎三恒井白 『史学医獣本日』

の、「古代より徳川末期篇」の章をついつい読みふけってしまっているのだが

そこで登場する徳川時代の馬というのは

今の自動車と同様、無くてはならない存在、と考えていいと思うのである。

陸運は現代ほど発達してないにせよ

当時の人間社会にとって、いかに馬が大切な存在であったかは想像に難くないだろう。

であるとすれば、その時代の馬医者というのは

今の自動車修理工のように、それぞれの町に無くてはならない存在であったであろう。

今よりも圧倒的多数の人が馬にかかわっていたであろう。

さて

徳川吉宗時代の、享保2年の馬医書『武馬必要』ににおいて

「獣医」という言葉が初めて記されたのだそうだ。

それ以前は、「獣医」ではなく、「馬医」という言葉が使われていた。

著郎三恒井白 『史学医獣本日』すなわち

『日本獣医学史』 白井恒三郎著 には

旧態依然とした獣医療を施す「馬医」と

新しい技術に積極的な「獣医」とが

馬をめぐって凌ぎを削っている。

そんなことを想像させる文章と、短歌(狂歌?)が載っている。

私の興味は、もっぱらどうしてもそこに行ってしまうのである(笑)

その短歌とは


 かたもなき生死も知らぬ馬くすし佛(ほとけ)たのみて地獄にぞいき


診ている馬の生き死にも判らない馬薬師(うまくすし)が、結局神頼みをしている様子を皮肉っている。

なんだかちょっと、耳の痛い歌だ(笑)

また


 せんやしな本草くすりとききけれどどの病にてと知らでせんなし


立派な薬は手元にあるけれど、適応症がよくわかっていない様子を皮肉っている。

当時のいい加減な薬剤処方を皮肉ったものであろう。

しかしこれも、我が身を振り返ると、ちょっと耳の痛い歌だ(笑)

当時の人はなかなか鋭い。

ともあれ

立派な獣医術を説きながらも

こういう短歌(狂歌?)も自然にちりばめられている徳川時代の馬医書の著者に対して

私は、同じ日本人として、この上ない愛着と尊敬の念を抱いてしまうのである。

五七調の韻文が

獣医学書に堂々と記されている事実に感動するのである。


  *    *    *


江戸時代の狂歌といえば

やはりなんといっても、幕末の相模湾に黒船が到来した時の


 太平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず


が最も有名だ。

ご存知の通り、ぺリーの黒船が四艘やってきたのを見て

神奈川県の上喜撰というブランドのお茶に引っ掛けて詠まれたものだ。

この神奈川のお茶の歌を元にして、私は


 茶産地の怒りを覚ます放射線 待った掛けられどこにも売れず


と、詠んでみたのだですが・・・

北海道獣医師会雑誌の来月の投句は

これにしようかなー・・・

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徳川時代の馬医書(3)

昔の獣医書物をかいつまんで眺めているうちに

一つの疑問が浮かび上がってきた。

それは何かというと

我々が今用いている様々な獣医療技術、その各々について

この世で一番最初にやったのは、いったい誰か?

そしてそれは、いつ?、どこで?

という疑問である。

つまり個々の技術ルーツを知りたくなったのだ。

例えば

体温測定はどのようにしてやり始めたのだろうか

聴診器はいつごろから用いられるようになったのか

注射器はいつどこで誰が最初に使いはじめたのか

切開縫合技術は誰が始めたのか

などなど・・・

それぞれ挙げてゆくと、なんだかきりがなくなってくる。

ただ、想像するに

たぶん殆どの獣医療技術は、人の医療技術の真似から始まっているのだろう、という事は

容易に想像できる。

古代では、医者も獣医もはっきりとした区別はなかったであろうし

医者というものが現れる以前から、民間療法が存在していたはずだから

そのルーツとなると、誰が何処で、というはっきりしたものを知ることは、おそらく不可能だろう。

按摩やマッサージ、針・灸などの技術は、今も隆盛を極めているが

これらの技術は、歴史が古そうである。

切開、縫合、などの外科的技術は、西洋がルーツではなかろうか。

薬剤も、経口薬や塗布薬のルーツは古いだろうが

注射薬は、注射器がなければ打てないから、ルーツは注射器とともにあり、これも西洋のにおいがする。

そのような様々な獣医療技術の中で

特に、私が気になるのは、直腸検査である。

直腸検査というのはご存知の通り、牛や馬の肛門から腕を挿入し、腹腔内の各臓器を触診する技術である。

直腸検査は、我々は毎日やっているのであるが

これは、牛馬の獣医療独特の技術であり

ヒトの医療では、今でこそ内視鏡を肛門から挿入するけれども、昔はあまり行われていなかった医療技術であろう。

牛馬の直腸検査のルーツは、きっと人の医療とはあまり関係ないところにあるような気がするのである。

直腸検査は、いつどこで、誰がどのようにして始めたものなのか

たいへんな興味をもってしまうのである・・・

どなたかこの辺、ご存知でしょうか?

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徳川時代の馬医書(2)

DVC00111 著郎三恒井白 『史学医獣本日』

・・・すなわち・・・

白井恒三郎先生著 『日本獣医学史』 復刻版 によれば

8代将軍徳川吉宗は、馬の輸入、改良、馬術や馬医療の進歩、発展を大いに推し進めた将軍だった。

享保10年(1725)〜元文2年(1737)の間に、オランダ人から西洋の馬を28頭輸入した。

それにつれて当然、西洋馬術や馬医療も我が国に入ってきた。

特に、オランダ人の馬乗りケイスルは幕府の御用で江戸へ赴き、今村英生(上記写真本中の絵)という通詞(通訳)が付き添った。

今村英生は単なる通訳ではなく、たいへん博識のある蘭学者だったといわれ、上著書にも

「蘭医今村英生は洋風獣医としての開山である・・・」、と書かれている。

そんな、吉宗時代の影響もあってか、その後の宝暦年間には様々な馬医書が出版されている。

前回の記事の、私が先輩獣医師のVさんに見せてもらった本は、そのうちの一冊だと思われる。

白井恒三郎先生の『日本獣医学史』は700ページ以上の分厚い本なのだが

Vさんの本がきっかけで、ついつい読みふけってしまった。

また、前回のhig先生のコメントにあった「解馬新書」は

吉宗の死後約100年経った嘉永5年(1852)に、東水菊池宗太夫藤原武樹という人(長い名前だね・・・(笑))が著した。

この藤原武樹は一橋家の馬医すなわち、当時の臨床家だった。

その臨床家が蘭学を学び、その中でヒトの「解体新書」に出会い

きっと、馬でも生理解剖の手引きが必要だ、と痛感したのではないかと思う。

当時の臨床獣医師のレベルがどの程度だったかは判らないが

文盲率も高かったであろう時代に

死馬を穢多非人と呼ばれる人たちと共に解剖しながら

「解馬新書」を編む作業は、並大抵なことではなかっただろうと思う。

『日本獣医学史』にも、彼のことを

「洋方獣医術を実践した第一人者であることは疑いのないところで、画期的人材と云うことができる。」 

と、評している。

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徳川時代の馬医書


DVC00068先輩獣医師のVさんが、母親の実家にあったという古い本を見せてくれた。

Vさんのお母様の実家は、岩手県の南部地方にあるそうだ。

「表紙が火事で焼け焦げたらしくてね、なんていうタイトルの本なのかわからないんだけど・・・・」

しかし、馬の獣医学の書物であることは一目でわかる。

DVC00070絵を見ていると、針灸のツボの解説であったり

簡単な解剖図と、内臓の位置関係の解説であったり

薬剤の調合レシピであったり
DVC00071
非常に興味深い

「牛のやつもあったんだけどね・・・どこかにまぎれちゃって、今手元にはこれだけ。」

DVC00069100ページ以上はあるであろう和紙に

墨でていねいに書かれていて、色墨のところもある。

ところが・・・肝心の字が難しくて

殆ど全くといってよいほど、読めない!のだ。

「・・・読めないだろ?(笑)」

と、Vさん。

昔の人の毛筆の、ひらがなの崩し字というのは

専門的に勉強しないと、どーもこれが全く読めないのである。

同じ日本語だというのに・・・

短冊に書かれた俳句や短歌なども、崩してあると全く読めないが

それと同じもどかしさを感じたのだった。

DVC00072そんな中で、かろうじて

最後のページに、はっきりと

読める文字があった。

『宝暦八年、九月吉日』

宝暦八年を、年表で調べてみると

1758年であった。

徳川吉宗が亡くなったのが1751年。

それから7年が経過して

この年には田沼意次が大名になっている。

時代はまさに、享保の改革の後の混乱

江戸時代のど真ん中。

当時の交通手段は、海の船と、陸の馬。

馬の数だって、今とは比べ物にならないほど多かっただろう。

そのような時代に書かれた馬の医学書。

ああそれなのに

そこに書かれている字が読めないなんて

日本人として、獣医師として、情けない限りだねこれは・・・(泣)

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「唯脳論」(8)

抽象的な事を話していると、退屈になってくるので

西洋人の家畜に対する考え方の、具体例を挙げてみたい。

酪農情報誌「Dairy Japan」の2009年12月号のトピックスに

よいタイミングで、こんな記事があった。

その全文を書き出してみよう。

           *    *    *

  牛は「名前」で呼んだほうが乳量は多い---イギリスの雑誌から

 多くの科学者によって、「人間と動物の関係(HAR)」において、人間側の要素が乳牛の生産性や行動に影響を与えていることが証明されているが、英国で発行されている人と動物の関係の研究誌「Anthrozoos」Vol.22,Number1,2009年3月号に、516戸の酪農場でHARを調べたところ、90%以上が、「牛は感情を持っている」と回答し、78%が「知性を持っている」と回答したという報告が載っている。また、牛を1頭ごとに識別することが大切だと考えている農場は、より多い産乳量(200kg以上)が得られるという傾向が見られた。さらに牛を「名前」で呼んでいる農場では、そうでない農場と比べて乳量が258kg多かったという。
 この研究をリードしたDouglas博士は、「牛を名前で呼べば、コストをかけずに乳量を上げることができる」としている。

            *    *    *

私はこの記事を読んでいる途中で、なんだか可笑しくなって吹き出してしまった。

そして

「強い論理思考と、神秘主義との奇妙な結合、それが西洋人の悪癖である。私はそう思う。」

という、養老氏の言葉を思い出して、また笑ってしまった。

『悪癖』かどうかは、私にはわからない。

でも、確かにこの記事を読んで、私は二つの違和感を持った。

その一つは、前半の部分

「牛には感情があるか?」、あるいは「牛は知性を持っているか?」、という質問を、酪農家に対して大真面目に問うている研究チームの可笑しさ。

もう一つは、後半の部分

「牛を名前で呼べば、コストをかけずに乳量を上げることができる」と大真面目に考察しているDouglas(ダグラス)博士の可笑しさ。

西洋人の強い論理思考も、ここまで来ると、滑稽に見えてくるのは私だけだろうか。

東洋人(日本人)の私から言わせれば

「そんなこと、あたりまえじゃないか!」

で、ある。

こういうテーマは、べつに科学的な論理で証明など、する必要があるのだろうか?と、私は思うのである。

こんなところにまで科学的手法を大真面目に使う感覚が、私にはとても奇妙に映る。

これは科学で扱う問題ではなく、非科学的思考であっさり解決できる問題ではないのか。

愛情や思いやりの問題ではないか、と私は思うのだ。

実際、私の通う酪農家で

「乳量を上げるために、牛を名前で呼ぶことにしたよ。」

なんていう酪農家など、1人もいないと思う。

牛を名前で呼んでいる酪農家は、牛をそれだけ愛しているから。

そういうことでしょう?

イギリス人のダグラス先生・・・使う道具がちょっと違うんじゃぁないでしょうか?

料理をするのに包丁ではなく、カッターナイフを使っているような

あるいは、和食を食べるのにフォークとナイフを使っているような

そんな違和感を、私は禁じえないのである。

唯脳論シリーズ後半のテーマは

西洋人の脳は家畜をどう見ているのか・・・なのであるが

牛には感情がないと思っている酪農家が1割

牛には知性がないと思っている酪農家が2割以上

そんな記事にも、ちょっと驚く。

底にはやはり、キリスト教と神道・仏教との違い、があるようだ。

東洋人とはかなり違う、その一端を垣間見たような気がする

そんな、記事である。

「唯脳論」(7)

私は、唯脳論を参考にしながら、畜産現場における「宗教」について書こうとしているが

宗教は世界中に、じつにいろいろある。

そこで、私の取り上げる宗教はとりあえず

日本神道、仏教、キリスト教、の3つに絞りたいと思う。

それが私の身の回りの主な宗教だと思うからだ。

宗教は、ヒトの心、精神、魂、霊、といったものを扱う。

ヒトには、形態としての「肉体」と、その機能としての「心」がある。

ここまではたぶん、神道も仏教もキリスト教も、異論はないだろう。

さて、では、ヒト以外の動物、家畜はどうだろう。

形態としての「肉体」が存在するのは、誰も否定できない。

その機能としての「心」の存在はどうか。

これもおそらく、3つの宗教のどれからも、異論はなかろうと思う。

動物にも「心」があるのだ。

動物にも、自らの意思があり、自己意識のようなものは

程度の差こそあれ、たぶんあるだろう。

さて、では

ヒト以外の動物、家畜において

「魂」や「霊」はどうだろう。

ここで、キリスト教は『ない』、というだろう。

キリスト教では、ヒトだけが神から「魂」や「霊」という神秘的な物を植えつけられた存在だからだ。

西洋人は、「心」すなわち「mind」というものは科学的に解明できると考えているらしい。

しかし、「魂」や「霊」すなわち「soul」や「spirit」は、神秘的なもので科学的に解明するのは不可能だと考えているらしい。

キリスト教においては、ヒト以外の動物に「心」はあるが、「魂」や「霊」は『ない』のだ。

キリスト教において、ヒトと他の動物との間は、ここで完全に分断されている。

したがって、家畜に対して慰霊をする、という発想はなく

家畜をヒトに与えてくれた神に感謝する、謝肉祭が行われる。

西洋人の脳は、そういう考え方で、家畜を見ているのである。

これに対して・・・

神道や仏教は、家畜に「魂」や「霊」は『ある』、というだろう。

その証拠に、われわれは「畜魂」という言葉を何の疑いもなく使う。

また「一寸の虫にも五分の魂」などという言葉もある。

畜魂碑ヒトの前世が

動物だったりする

輪廻の世界が存在する。

ヒトと動物との間に

キリスト教のような決定的な断絶は、ないのだ。

写真は

高さが5メートルはあろうかという

立派な畜魂碑。

我が診療区域内の

家畜共進会場に建っている。

当然、年に一度

この碑の前で

家畜の慰霊祭が行われる。

我々、東洋人の脳は、そういえ考え方で、家畜を見ているのだ。

「唯脳論」(6)

「唯脳論」で繰り返し言われているのは

要するに、「人の言うことのすべてはその人の脳の中にある」、ということと

「そのことを忘れるべきではない」、ということだと思う。

したがってこれから、私が唯脳論を参考にしながら宗教について書く場合

前もって、私自身の脳と宗教についても、少し書いておくのが礼儀?!かもしれない、と思った。

以下、それを書きます。

      *     *     *

私が生まれた時、母はプロテスタント派のクリスチャンだった。

しかし、父と祖父と祖母は、ある禅宗の檀家だった。

どんな結婚式を挙げたのか、私は良く知らない(笑)。

私と兄は小学校から中学まで、母に連れられてキリスト教会に通っていた。

しかし、祖父母の家の法事にも参加していた。

祖母が亡くなった後、祖父は家の仏壇を処分した。

その後、祖父と父は、母の影響でクリスチャンになった。

私は、そのときはもう北海道で就職していた。

私は屈折した無神論者になっていた。

結婚して、家を建てたときは、神道の建前をやり

母の要望で、キリスト教の石を地下に埋めた。

私の家の中には、神棚も仏壇も十字架もなかった。

そういうものは置きたくなかったのだ。

その後、妻の両親が亡くなった。

妻の両親の家には、日蓮宗の仏壇があった。

妻の姉達はみな、嫁ぎ先に別の宗派の信仰があったので

この日蓮宗の仏壇を、私と妻が引き取ることになった。

私の母はそれに難色を示したが、私の意志で押し切った。

かくして、現在、私の家には仏壇がある。

神棚はないが、正月には、注連飾りや鏡餅を置くことにしている。

・・・と、まぁ

こんな宗教環境で、私は今日まで生きてきた。

これで、私の宗教観、宗教に対してどんな考えを持っているのか、少しはご理解いただけるかと思う。

要するに、不真面目な日蓮宗の檀家、といったところ。

そんな私が、宗教と畜産について、ちょっと書いてみたいということである。

それを書く私の考えは、そんな私の脳の中でこしらえたものである。

え?前置きが長いって?

・・・ま、好きにやらせてくださいな(笑)

「唯脳論」(5)

「西洋生まれの科学が、どのくらい深くキリスト教に依存しているか。外部の人間として、われわれがしばしばそれを忘れるだけのことである。」

「強い論理志向と、神秘主義の奇妙な結合、それが西洋人の悪癖である。私はそう思う。」

と、養老氏は『カミとヒトの解剖学』のなかでそう言う。

『悪い』癖かどうかは、私はわからないけれども(笑)

そういう西洋人の論理志向は

彼らの家畜に対する考え方や接し方に対して

私も、しばしば気づくところであり

それがおそらく、キリスト教の教義に基づいているのだろう、というのも

なんとなく感じている。

まじめに信じているかどうかは疑わしいが、日本人の多くは仏教徒であり

日本の文化は、主にその仏教に根付いている。

仏教が日本にやってきたのは、飛鳥時代の538年、といわれている。

キリスト教が日本にやってきたのは、1549年(以後ヨロシク、とザビエル来日)。

この間に1000年の月日が流れている。

ただ、私は日本史の話をしようとしているのではなく

養老孟司氏の「唯脳論」を参考に、私の身の回りの畜産現場を見て

どんな景色が見えるのかを書いている。

「科学」とともに、「宗教」という大きなテーマがそこにあるようだ。

でも今度は

あんまりヘンな事を言うと、バチが当たるかもしれないので、気をつけながら行きたいと思う・・・
 



「唯脳論」(4)

「文科系における言葉万能および理科系における物的証拠万能に頼るだけではなく、すべてを脳全体の機能へあらためて戻そうとする試みである。だから『唯脳論』なのである。」

と、養老氏は言う。

「医者は大体、理科と文科の間に挟まって往生するものである。両者をどう結合したらいいか。そこで脳にたどりつく、というのが、この本を書いた私の動機である。」

と、養老氏は言う。

医者ではなく、獣医師はどうだろう。

「獣医師は科学者であれ」という言葉が、我々の間で肯定的に受け取られている現状からすると

獣医師は、理科と文科の間に挟まって往生しているのではなく、理科の物的証拠万能に大きく傾き、それになんの疑いもなく頼っている状況が見えてくる。

往生するどころか、大手を振って理科学理論を吹聴しているようにさえ見える。

獣医師はそれでいいのだろうか。

私は、唯脳論はじめ3冊を読んでそう感じた。

実際仕事をしていると、物的証拠万能な科学的思考のもとに

反論の余地がないようなデーターが示され

それを基にした方法で、家畜が飼われている。

そんな飼養方法についてゆけない家畜たちは

もがき苦しみ、治療を施してもなかなか治癒せず、予防をしても限界が有り

おびただしい数の家畜が、淘汰されてゆく。

「医者は科学者であれ。」などとは、あまり言われることがない。

そんなことを言ったら

おそらく、よい顔はされないだろう。

「獣医師は科学者であれ。」という言葉を

家畜たちが理解できたら

いやな思いをするかも知れない。

彼らにだって、小さいながら、立派な脳があるのだ。

彼らが今、求めているものは、何なのだろう。

科学理論は十分に与えられているだろう。

でも彼らは

愛情に飢えているのではないだろうか。



「唯脳論」(3)

「獣医師は科学者であれ」と、よく言われる。

そして、その言葉を我々獣医師はおおむね肯定的に捉えている。

しかし、獣医学という科学が、しばしば現実離れを引き起こし

臨床現場ではまるで役に立たないことがあるのも、我々は良く知っている。

唯脳論を読んで、その理由がよくわかったのは、前回書いた通りである。

獣医学という科学は、基本的に、『直線』のような幾何学を駆使し、『1+1=2』のような代数理論に基づく学問であり

そういう『直線』や『1+1=2』は、現実ではなく、それを考えるヒトの脳の中にしかない。

すなわち、科学的知見や理論は、この世の絶対的な真理などではなく

自分の脳の所産に過ぎないのだ。

だから現場とズレが生じる。

科学の信望者は、「非科学的なこと」を嫌う傾向がある。

「非科学的なこと」とは何か。

これも前回述べたように、ヒトの感情、愛、気合、思いやりの心、・・・などといったものだろう。

そしてこれらも同様に、我々の脳の所産に過ぎない。

同じ脳の所産であるが

現場で役に立つのは、「科学」か、それとも「非科学」か?

私は、後者に軍配を上げたいのである。

      *    *    *

大雪6例を挙げると

たとえば、牛の難産。

科学的なデーターを蓄積することはよいことだが、難産の牛を目の前にして、データーを調べることを優先してはいけない。

できるだけ早く駆けつけて治療に当たるためには、その牧場を良く知り、そこに飼われている牛への愛、夜中でも出動できる気合、といった「非科学」的なものが役に立つ。

大雪4たとえば、子牛の下痢。

目の前の倒れた子牛の前で、科学的知見を述べることはあまり意味がない。

瀕死の子牛の治療には、助けるぞ、という強い気持ちが大事である。すなわち子牛への愛、飼主への思いやり、が何より優先されるだろう。獣医師にもこういう「非科学」的態度がなければ、子牛の治療はうまく行かない。

大雪5たとえば、乳房炎。

乳房炎についての科学は日々進歩を遂げているのに、いまだにこの病気が減らないのは、科学的な進歩が、なかなか現場の役に立っていないことを示している。

乳房炎多発の牧場では、科学的なデーターを理解してもらうこと、それ自体が難しい。

乳房炎を出してはいけないのだ、という意識改革をどうするか。牛の衛生面のデーターを説くのも必要だが、その前に、実際に搾乳する人々への思いやり、食品を生産しているのだという意識と、消費者等への気配りがなければ、事はうまく進まないだろう。これは「非科学」的な部分である。

   *   *   *

大雪31月5日から8日まで

十勝地方は大荒れだった。

うちの診療所は、防風林の風上に位置している(笑)

そのせいで、非常にたくさんの雪が吹き溜まる。

大雪2どうして、こんなところに診療所を建てたのだろう・・・

と、この時期はいつも思う。

「唯脳論」(2)

たとえば、『直線』はこの世に存在するのだろうか。

直線は、大きさや太さを持たない概念だ。

目の前の紙に直線を定規で正確に描いたとしても、それを顕微鏡で見れば、インクの染みた曲がった繊維であろう。

たとえば、『1+1=2』は本当なのだろうか。

これも現実というよりは、数学の概念だ。

現実は、1グラムのブドウ糖を正確に1グラム測ったとしても、1.0001グラムだったり、0.999グラムだったりしているのが本当のところだろう。

『直線』や『1+1=2』というのは、われわれの脳の中には有るが、その外には存在していないのだ。

      *     *     *

「獣医師は科学者であるべきだ。」と、よく言われる。

科学的な態度をもって仕事すべきだ、ということだろう。

科学的な態度をとることは、必要で重要なことだと思う。

しかし・・・

科学は、上記のごとく、われわれの脳の中の投射であり、どうしても現実とは馴染みきれない代物でもある。

それを忘れてしまってはならないのだ。

獣医学(科学)を勉強していても、なかなか目の前の病畜を治すことができないことも、われわれは良く知っている。

その原因はなにか。

臨床現場て、目の前の病んだ牛や馬が治せないのは、「獣医学すなわち科学の進歩が足らず、まだ発展途上であるからだ。」という考え方がある。

獣医学(科学)がもっと進歩すれば、治らぬ病気が治るようになるのだろうか。

獣医学(科学)は、私の周りで十分進歩している。

だから、私はこの考え方に、素直に賛成することができない。

その考え方には、科学オンリーあるいは科学最優先の態度がある、と思うからだ。

私は、臨床の現場では、科学は最優先されるべきではない、と思っている。

科学以外のもの

たとえば、感情、愛、精神、気合、思いやりの心・・・

臨床の現場では、そういうものが足りないから、牛や馬の病気が治らないし減らない、と私は考えている。

科学よりも、科学以外のものが優先された方が、健全な世界であろうと思う。

そして、そのほうが牛や馬の病気は治せるのではないかと思っている。

養老氏の「唯脳論」を読むと、繰り返し繰り返し、科学はヒトの脳の中の投射に過ぎない、ということを教えられる。

そしてまた、科学以外の感情、愛、精神、思いやりの心、といったものもまた同様に

われわれの脳の投射である。

どれを優先させるべきかは、それぞれ勝手だし

養老氏も、その優先順位などには全く言及していない。

が、私は

臨床の現場で、科学を最優先する態度には、はなはだ疑問を感じ

それ以外のものを優先したほうが、健全ではないのかと思うのだ。

そんなことを、「唯脳論」によってあらためて感じたのだ。

この項、もうちょっと続きます(笑)




「唯脳論」

5f21a5fb.jpg「形態学に立派な理論は無い。ノーベル賞もない。・・・元来、形に証明は無い。自明があるだけである。」

「脳は、顕微鏡的に見れば、神経細胞とグリア細胞、これに外からやむをえず入り込んできた血管という、三要素から成る。他にはなにもない。ないから不思議である。」

養老孟司氏の

「唯脳論」・「カミとヒトの解剖学」そして「バカの壁」

の3冊。

解剖学者だから当然かもしれないが、これほど、物事を良く見ている人はいない、と感銘した。

「一般に自然科学は、考えているのは自分の頭だということを、なぜか無視したがる。」

「人文科学や社会学の人たちは、脳と言えば自然科学の領域だと思っている。自然科学もなにも、そう思っている考え自体が、自分の脳の所産ではないか。・・・要するに、あらゆる科学は脳の法則性の支配下にある。それなら、脳はすべての科学の前提ではないか。」

「ヒトの作り出すものは、ヒトの脳の投射である。」

「自分の脳のことを忘れるのは、『客観的な』科学者には、きわめてありがちな傾向である。」

考えている理論やデーターの測定などの科学的な思考と態度が、自分の脳の所産であることを、忘れるというフレーズが

この3冊の本の中に、何度も出てくるのだ。

さらに養老氏は

心すなわち精神は、脳のひとつの機能であり、なにも特別な神聖なものではない、という。

「脳を解剖したら、そこに心が含まれているのか。」

という意見に対して、養老氏は

心臓の解剖を例に挙げて、こう述べる。

「循環系の基本をなすのは、心臓である。心臓が動きを止めれば、循環は止まる。では訊くが、心臓血管系を分解していくとする。いったい、そのどこから、『循環』が出てくるというのか。心臓や血管の構成要素のどこにも、循環は入っていない・・・心臓は『物』だが、循環は『機能』だからである。」

「心、すなわち精神は脳の作用であり、つまり脳の機能を指している。したがって、心臓という『物』から循環という『作用』ないし『機能』が出てこないように、脳という『物』から『機能』である心が出てくるはずがない。」

つまり、脳も他の臓器と同様であり、脳という構造と、心という機能がある、というわけだ。

そして、ヒトの心を主に扱う宗教や宗教体験について、養老氏はこう述べる。

「若い頃は神の存在についてよく議論した。しかし、いまでは問題にすることはない。五万年前から神はいたから、いまでもいる。それを幻想と呼ぼうが何と呼ぼうが、ヒトという種が、神の概念を抱えて生きてきたことは間違いない。神の存在は、いわばヒトの属性である。いわゆる神秘的体験も同じことである。」

ヒトの脳は、五万年前頃の化石から、ほとんど変化はしていないらしい。したがって、その機能として、ヒトの心に五万年前から神の概念があったのは間違いない、と養老氏は言っているのだ。

すなわち、神もまたヒトの脳の所産であり、ヒトはしばしばそのことを忘れる、のだ。

傍線を付けながら、一読しただけでは私の読解力では頼りないけれど、繰り返し似たようなフレーズが出てくることから、きっとこの辺が唯脳論の基本になっているようだ。

三冊のうち「唯脳論」がその総論を述べたもので、「カミとヒトの解剖学」はそれよりも実例の解説が多く、各論的である。

また、ベストセラーになった「バカの壁」は、前二冊より砕けた表現でさらっと書かれているが、先に前二冊を読んでからだと、ちょっと物足りなさを感じる。

しかし「バカの壁」には、養老氏の教育者としての考え方が強く出ていて、読み手の心を掴んで離さない魅力がある。

さて・・・

ではこの唯脳論に立って、我々の畜産の世界を眺めたら、どんな世界が見えてくるのだろうか?

ちょっと脳が疲れたので、この続きは次回に・・・(笑)


ワンちゃん

7e34f499.jpg文学界新人賞受賞作『ワンちゃん』、楊逸(ヤン・イー)著

第139回芥川賞受賞作『時が滲む朝』、楊逸著

二冊を手に入れて読んでみた。

わざわざハードカバーの最新刊にお金を出して取り寄せるなどめったにしない私なのだが、作者が中国人であるという点に惹かれてしまった。

   *     *     *

『ワンちゃん』は、日本人の男性と中国人の女性のお見合いツアーのコーディネーター。

このツアーに申し込みを入れてくる人たちは、みな切実な悩みを抱えている。

離婚経験がある人が多く、なおかつ家族や自分自身の今後のためにどうしても配偶者が欲しいという切実な理由・・・

面白かったのは、大都市(北京や上海)出身の中国人女性たちは、大抵日本の恋愛ドラマを見すぎていて、日本ならばどこでもにぎやかで現代的な町で、高級マンションに住んで、旦那が仕事に行っている間に、自分が高級アクセサリーやお洒落な服を身にまとい、カフェなどで友人とお茶したり出来ると思い込んでいるらしいということ。

日本人と結婚すればそんな優雅な生活ができるものと憧れてやってくるが、いざ現実は、住む場所は辺ぴな田舎で、旦那の年老いた親と同居して、日の出と共に畑に出て、日が暮れて家に帰れば、炊事片付けなどが待っている。

都会育ちの女の子には到底耐えられるはずもなく、失意の中で離婚して帰国するなり逃亡してしまうなりして、問題が起きる。

そこで、ワンちゃんは、見合いツアーのターゲットを、田舎育ちの女性に絞っている。

ワンちゃん自身も、ワケありで日本人男性と国際結婚している身だった。

コーディネーターの仕事も順調に進み、ワンちゃんはツアーに参加したある男性と頻繁に連絡を取り合うことになるのだが・・・

    *    *    *

『時が滲む朝』は、1989年6月4日の天安門事件の民主化デモに参加した学生の青春物語。

民主化運動に参加した大学生や大学教諭等指導者達の、青春、そして挫折、海外逃亡・・・そして現代につながる彼らの生活に対して、作者は温かな眼差しを注いでいる。

その一方で、ある登場人物には

「親から仕送りをしてもらって、何の心配もしないで、民主だの自由だの選挙だのと格好の良いことばかり言ってさ。女房も子供も養わなければならない俺らは愛国心だけじゃ生きていけないんだよ。」

などと言わせ、現代中国の悩みを描く。

ひところ流行った『発毛剤「101」』は、民主化勢力の資金源だったらしい事も書かれている。

「6.4・天安門事件」は現代中国を解く重要なキーワードなのだと再認識した。

中国本土では今でもこの事件の詳細に言及する事は憚られているようだ。

が、オリンピックの開催地になったり、世界経済に対して大きな発言力を持ったこの国において、もはやタブーで通せる事はできないだろう。

中国人作家の芥川賞受賞というのも、この賞の懐の深さを表しているようだ。

はっきり言って、前回紹介した138回受賞作『乳と卵』に比べたら

格段に読み応えがあった。

作中、尾崎豊の歌詞や

漢詩もいくつか登場する。たとえば甘先生作・・・

 東西柏林一垣横

 八九春風乱石平

 民主十歳今何痛

 連連紛争幾時寧

 

 一つの壁でベルリンは東西に隔たれ

  その壁は89年の春風に吹き飛んだ

  にも拘らず十年後の今何か痛む

  次々起こる紛争はいつ治まることやら

   *   *   *

私の診療区域でも、メガファームなどを中心に中国人の労働者によく会うようになった。

日本の牧場で働く中国人は多い。

それも女性のほうが多いのではなかろうか。

しかも私の知る限り、彼女達のほとんどが、うら若い20歳代の娘達。

まさか、日本人の男性との結婚を狙ってやってくるのではあるまいが(笑)

彼女達一人一人には、それぞれいろいろな事情を抱えているのかもしれない。

今度、時間があったらいろいろ聞いてみようか。

中国語で、「あなたはどこから来たの?出身は?」ぐらい、言えるようにしておこうかな・・・

もし私の娘が、外国の牧場で働きたい、なんて言い出したら・・・

私はたぶん賛成しないだろうなぁ・・・



 

乳と卵

「ぼくは、年2回の芥川賞作品は楽しみに読んできた。今まで印象に残っているのは・・・、・・・。・・・『みちのく』の諸君、俳句も文芸のうちだから、芥川賞・直木賞ぐらいは眼を通して欲しい。」

とおっしゃるのは、我が俳句雑誌『みちのく』の主宰、原田青児先生。

同人誌の末席を汚している私としてはとても耳の痛いお言葉で、今まで両賞の受賞作など全く読んでいない。

それに受賞作をわざわざ取り寄せてお金を払って買うのは、マスコミに煽られた割高な商品を買わされるような気もして・・・で結局読まずじまい。

しかし、今回の芥川賞受賞作の「乳と卵」は、そのタイトルに惹かれた。

そこで、我が俳句の師、原田青児先生のお言葉に従ってみることにした。

仕事柄、「乳」や「卵」とは毎日向き合い、毎日触っている物でもあるし・・・

もちろんヒトのそれではありませんがね(笑)

乳と卵Amazonの中古本が出ていたので、割安で取り寄せて読んでみた。

主人公の私は東京住まいの独身女性。その姉の巻子(39歳)とその娘緑子(りょくこ・10歳位)が、大阪から3日間の予定でやってきた。

巻子は東京で豊胸手術を受けるのだという。

巻子は私と女湯へいって汗を流しながら、周りの女性達や自分の胸を見るなどして、豊胸手術のウンチクを語る。

化粧する事と豊胸手術を受ける事を比べた議論なども間に出てくる。

巻子は出産してすぐ離婚したので、娘の緑子は父親を知らない。そんなことで母を憎み、一切口を利かず、ノートで筆談をしている。

母親と同じように生理がきて、女性へと変わってゆく緑子は、母親のようにはなりたくないと思っている。不安がいっぱいで大人になることを苦しがり、その苦悩などをひたすらノートに書き付けている。

2日目の夜、緑子は酔って帰って来た巻子に対して、「お母さん、ほんまのこというてよ、胸をおっきくして、なにがいいの、お母さんはなにがしたいの」と、体を震わせて、ついに口を開く。(このへんがクライマックス)

これに対して巻子は「ほんまのことなんてな、ないこともあるねんで、何もないこともあるねんで。」と答える。

翌日、しゃべるようになった緑子と、手術はまだしていない巻子は、仲良く大阪へ帰る。

二人を見送って帰宅した私は、生理が始まっていて、前日からシーツを汚したりナプキンを取り替えたりする描写が淡々と書かれ、最後のシーンはシャワーを浴びる自分の体を鏡でしげしげと見る。

「・・・真中には、胸があった。巻子のものとそれほど変わらぬちょっとしたふくらみがそこにあって、先には茶色く粒だった乳首があって、泣き笑いのようだった、低い腰は鈍くまるく、臍のまわりにはそれを囲むように肉が付いて・・・どこから来てどこに行くのかわからぬこれは、わたしをいれたままわたしに見られて、切り取られた鏡の中で、ぼんやりといつまでも浮かんでいるようだった。」

これで結んでいる。

登場人物はこの3人だけだ。

以下、感想

すらすらとした語るような、読ませる展開と文体なので

違和感も無く読んでしまったが、後から思うと

男の私には、未知な部分が多く、内容はなかなかエグイです。

女性の生理の「色気の無い部分」を公開された感じというのかな。

とにかくまったくと言っていいほど色っぽくない内容。

この女性達の会話には、巷の女性が普段表向きに見せている「男に対する性的意識(セックスアピール)」のようなものが全く感じられない。

そこが作者のねらいなのかもしれない。

主人公の姉の巻子はそんな内容の象徴である「豊胸手術」に向けてただマニアックに熱中する事にしか「生きがい」を感じることができない女性のようだ。

今、こういう女性ってけっこう多いのかもしれない。

だからむしろとても切実で、生物としての女性の「めんどくささ」がしっかりと描かれているように思った。

考えてみると、私の妻と二人の娘も、毎月訪れる生理に対してこういう作業を淡々と繰り返し、風呂場の鏡に我が身を映したりして、生活しているわけだ。

女性の舞台裏?を淡々と公開するような小説。

男性読者にとってはこの小説は、女性をより深く理解する?!相互理解の一助になるのかもしれないですね・・・

でもなぁ、医者や化粧品会社の社員ならともかく、こんな事まで知らなくてもいいよ・・・(笑)。

あともう一つ。

ヒトの女性の生理的な部分ていうものは、冷静沈着に描けば描くほど、牛や馬の雌の生理的な営みと大差が無いんじゃないかな、ということも感じましたね。

作品中の言葉を借りればそれは

「生きてゆく更新が音も無く繰り返される。」

ということか。

 

 

 

ハーズマン日記から(1)

ご存知の方も多いと思うが、Dairy Japan 誌 から出ている 「ハーズマン日記」 の著者、水口さんは私の診療区域内の農場で働くハーズマンである。

ハーズマン日記一冊手に入れて、事あるごとにページをめくっている。

読んでいると、往診中に牛に注射を打ちながら水口さんと雑談にふけっているような錯覚に襲われるのだ。

往診中の実際の雑談もとっても楽しいのだが、このハーズマン日記を読みながらの仮想雑談!?は、水口さんの語り口がいっそう軽妙で、しかも鋭く核心を突く、笑わせられながらも感心してしまうことが沢山あって、読みながらついつい時間を忘れてしまう。

ドキッとする文章もたくさん出てくるのだ。

今日はそんな中、酪農ヘルパー制度に言及したこの一文を抜粋する。

「最近は農協や共済組合、酪農関連メーカーも週休2日制の導入を進めているようです。しかしこれは本末転倒のような気もします。まずは酪農家が安定的に週休2日で働けるような体制をみんなで協力して構築する。酪農家をサポートする関係各機関がゆっくりと休むのはそれからです。・・・」 (P61 農村の異文化 より)

お盆も正月もない酪農という仕事に携わっている人の発言である。

我々関係機関の職員の襟を正す鋭い発言である、と同時に、ヘルパー制度の将来を見据えた建設的な意見だと思う。

たまにはポエム(2)

まど・みちお1909年生れのこの人の顔をご存知だろうか

「まど・みちお詩集」 ハルキ文庫 1998角川

ピンと来ない方が多いと思うが、「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「ドロップスのうた」「1ねんせいになったら」といった童謡の作詞者だといえば、おわかりだと思う。

「ぞうさん」は、まど・みちお氏が42歳の時の作だそうだ。

そんな氏の作で「馬の顔」という詩がある。

 

  馬の顔       まど・みちお

 

馬の顔を そばで見ていると

じーんと してくる

 

汗ばんだ肌が

夕やけて 息をするのが

地面の底からの 息のようで

私たち ぜんぶの生き物の

息のようで

 

円(つぶ)らな目ん玉が

はだかで うるんでいるのが

いま 神さまに

洗っていただいたばかりのようで

その神さまのお顔のほかには

なんにも映してはいなさそうで

 

じーんと してくる

生き物という生き物の生命(いのち)を

ひとり勝手気ままにしている人間の

その子どもである ぼくの胸は

 

魅惑の元禄時代(1688〜1703)

元禄本俳句詠みの「はしくれ」として、俳聖・芭蕉に興味を持つのは自然な流れである。

松尾芭蕉(1644〜1694)が生きた元禄時代に思いを馳せて、歴史の年表などをめくっていると、これがまぁなんと、同時代に生きた人達の顔ぶれの素晴らしく豪華なこと!

水戸光圀(1628〜1700)・・・黄門様の世直し行脚の一行は、芭蕉の風狂の旅姿と、きっと何処かですれ違ったに違いないのだ!?

徳川綱吉(1646〜1709)・・・天下の悪法「生類憐みの令」を発したバカ殿だと言われているが、写真の3冊の本を読んでみると、綱吉は決してそんな人ではないことがわかる。

柳沢吉保(1658〜1714)・・・綱吉と共に「大奥」の主役男!。悪役のイメージは、後世の政治家や歴史家によって付けられたようだ。

吉良上野介(1641〜1703)・・・忠臣蔵の仇役。元禄時代は平和なチャンバラの少ない時代だった。こんな時代はかつて無かった。

浅野内匠頭(1667〜1701)・・・平和な時代だからこそ、この人のこんな行動が目立ってしまったのだろう。辞世 『風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残をいかにとやせん』 はいい歌だ、がフィクションらしい。

大石内蔵助(1659〜1703)・・・あんな事をホントにやるなんてすごい、元禄時代ではむしろ古いタイプの人だったのではなかろうか。辞世 『あら楽し思いは晴るる身は捨つる浮世の月にかかる雲なし』 これもフィクション臭い。

関孝和(1642〜1708)・・・英国のニュートン(1642〜1727)と同じ年とは驚きだ。微積分の理論はどちらが先に言い出したのだろうか。

渋川春海(1639〜1715)・・・関が理論派なら渋川は実践派、天文方創始者。囲碁の名手、勝負師でもある。

井原西鶴(1642〜1693)・・・芭蕉と同じく50歳そこそこで没。有名な文人はどうも貧乏で厳しい生活の人が多いなぁ。

近松門左衛門(1653〜1725)・・・同じ作家でも、劇作家は今で言う売れっ子放送作家だろう。

新井白石(1657〜1725)・・・綱吉の政治をこき下ろし、悪いイメージを与えた筆頭株の学者先生。彼の「正徳の治」のほうがむしろ失政なのではなかろうか。「生類憐みの令」の名誉回復をしていただきたい。

宮崎安貞(1623〜1697)・・・「農業全書」(1696)の著者。この本を書いて、翌年没。水戸光圀が絶賛し、米将軍吉宗の座右の書でもあったという。

まだまだいるけれど、うーん、ざっとこうやって並べてみても、そうそうたるメンバーだ。

17世紀後半の華やかな元禄時代を生きた人たち。彼らがお互いにどこかで影響を及ぼし会っていないわけは無いだろう。

あぁ・・タイムマシンに乗れるなら、今すぐにでもこの時代に行ってみたいなぁ。

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